ダイアナ妃 本物の事故写真や陰謀論も浮上?死因は恋人ドディとの交通事故

2017年は、イギリスのチャールズ皇太子の最初の妻であった故・ダイアナ元妃が、亡くなられてちょうど20年になる年だそうです。

ダイアナ妃

画像引用:http://rmv.dtiblog.com/blog-entry-75.html

ダイアナ妃と言えば、その死後もテレビや各種メディアなどで度々取り上げられる方ですので、生前の活動や亡くなられた理由などについてはご存知の方も多いと思われますが、その死について一部では「暗殺説」「陰謀論」なども囁かれているそうです。

この記事では、そんなダイアナ元妃の、

  • プロフィールや、皇太子との結婚・離婚
  • 交通事故の経緯や事故の画像
  • 暗殺や陰謀論

などについて、探ってみたいと思います。

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ダイアナ妃のプロフィールや皇太子との結婚・離婚など

それではまず初めに、ダイアナ妃の基本的なプロフィールや、チャールズ皇太子との結婚・離婚、その後の活動などについて、ご説明したいと思います。

ダイアナ妃

画像引用:https://hiroshima.keizai.biz/headline/333/

ダイアナ・フランセス(Diana Frances

出生       1961年7月1日(イングランド・ノーフォーク・サンドリンガム・パークハウス)

死去       1997年8月31日(満36歳没)( フランス・パリ・サルペトリエール病院)

配偶者      ウェールズ公チャールズ(1981年 – 1996年)

子供       ウィリアム王子(長男)、ヘンリー王子(次男)

父親       第8代スペンサー伯爵エドワード・スペンサー

母親       フランセス・スペンサー(旧姓バーク・ロッシュ)

ダイアナ妃は、イギリスの名門貴族・スペンサー伯爵家の令嬢として、1961年に生まれました。

スペンサー家は、17世紀以来続く歴史ある貴族の家系で、エドワード・スペンサー伯爵とその夫人・フランセスの間の三女として生まれました。

しかし、両親は1967年から別居し、1969年に離婚。

ダイアナ妃らの子供の親権は、父親が獲得しました。

そんなダイアナ妃は、のちにイギリスの第1位王位継承権者・チャールズ皇太子の最初の妃となるのですが、お二人が出会ったきっかけは、1977年に姉・セーラと交際していたチャールズ皇太子と会った事でした。

この時のダイアナ妃は16歳だった事や、チャールズ皇太子がダイアナ妃の姉・セーラと交際していた事もあり、お二人は恋仲にはなりませんでしたが、その後の1979年、王室のサンドリンガム邸のパーティーで皇太子と再会したのをきっかけに親しい関係となり、1980年に交際が深まりました。

そして1981年2月、ダイアナ妃とチャールズ皇太子は結婚。

ダイアナ妃 チャールズ皇太子 結婚

画像引用:http://www.cosmopolitan-jp.com/

1982年5月からは、ダイアナ妃と皇太子はケンジントン宮殿で生活をはじめ、ウィリアム王子ヘンリー王子の2子をもうけましたが、やがて結婚生活や家庭生活、公務について、ダイアナ妃と皇太子は考え方の違いが深刻化していきました。

ダイアナ妃は過食症に苦しむようになり、皇太子も1980年代半ば以降は、ダイアナ妃のいるケンジントン宮殿に戻らず、ハイグローヴ邸で暮らすことが増え、カミラという女性との交際を再開するようになっていました。

このカミラさんとは、皇太子がダイアナ妃と結婚する前に愛していた女性でしたが、皇太子が結婚の申込を引き伸ばした事などから、別の男性と結婚していました。

しかし、カミラさんとチャールズ皇太子は、結婚後も関係が続いていたのだそうです。

上述したダイアナ妃と皇太子との関係悪化に加え、カミラさんと皇太子の関係なども影響して、ダイアナ妃と皇太子の関係は極度に悪化。

そして、チャールズ皇太子とダイアナ妃は1992年に別居、1996年には正式に離婚をされました。

(ちなみにダイアナ妃の死去後、チャールズ皇太子とカミラさんは公然と交際を始め、2005年4月に結婚しています。)

チャールズ皇太子とダイアナ妃の離婚に伴って、子である2人の王子の親権は、お二人で平等に持ったそうです。

離婚後のダイアナ妃は、エイズ問題や地雷除去問題など慈善活動への取り組みを本格化させていきました。

ダイアナ妃 慈善活動

画像引用:http://www.huffingtonpost.jp/

またダイアナ妃は、この頃からパキスタン人心臓外科医のハスナット・カーン氏と交際を開始。

さらに1997年7月からはエジプト人映画プロデューサーのドディ・アルファイド氏との交際も開始したと言われています。

そして1997年8月31日の深夜、フランス・パリでドディ氏と一緒に乗っていた車が交通事故を起こし、ダイアナ妃は36歳で還らぬ人となりました。

そんなダイアナ妃の生前の活動は、ファッションセンスが高く評価され、当時の女性のファッションに大きな影響を与えました。

また慈善事業への積極的な取り組みも高く評価され、死後もその人気は極めて高いものとなっています。

ダイアナ妃の事故の経緯と、本物の事故写真

そんな悲劇的な最期を迎えられたダイアナ妃でしたが、その死因となった交通事故については、20年が経った現在でも様々な憶測が広がっているようです。

しかし、一般的には以下のような経緯があったと言われています。

1997年8月30日、ダイアナ妃とその最期の恋人だったドディ氏はチャーター機でパリ郊外のル・ブルジェ空港に到着。

宿泊予定のホテル・リッツから派遣された、運転手とボディーガードに伴われて、5ツ星ホテルのリッツに入りました。

このホテルの滞在中に、ダイアナ妃はウィリアム王子から電話を受けていました。

内容は、”マスコミから単独での写真撮影を依頼されたことについての相談”だったそうですが、これがダイアナ妃と息子の最後の会話になりました。

この日の夜は、ダイアナ妃はドディ氏と、「ポンピドゥー・センター」というパリの文化施設の近くのレストラン「ブノワ」で夕食を取る予定でしたが、マスコミがレストランで待ち受けていたため中止。

結局、夜9時50分頃にホテルの部屋の中で夕食を取ったそうです。

この日の夜は、ドディ氏のアパートで寝る予定だったそうですが、ホテルの外で待つマスコミが急増したため、2人はおとりの車を何台かホテル正面から出した後、8月31日に入った0時20分頃、ホテル裏口からベンツで出発しました。

同乗していたのは、ダイアナ妃ドディ氏、運転手のアンリ・ポール氏、ボディーガードのトレヴァー・リース=ジョーンズ氏の4人でした。

一行を乗せた車は、追跡してきたマスコミを巻くために135キロから150キロという違法な猛スピード、コンコルド広場からアルマ広場へ向かいましたが、アルマ広場下のトンネルで他車を避けようとして運転を誤り、中央分離帯のコンクリートに正面衝突しました。

シートベルトを締めていなかったドディ氏と運転手ポール氏は即死し、ダイアナ妃とジョーンズ氏は重傷を負いました。

(最終的には、シートベルトを唯一着用していた助手席のジョーンズ氏のみが生き残りました。)

事故発生後は、車を追跡していたマスコミたちと通りすがりの医師が第一発見者となりました。

医師が携帯電話で救急車を手配し救急隊が到着するまで、医師とカメラマンの一人がダイアナ妃の応急処置に当たっていたものの、他のカメラマンたちは写真を撮ってばかりだったそうです。

救急隊は1時間かかって潰れた車の屋根を切り、前部座席と後部座席に挟まれたダイアナ妃を車外に出すことに成功。

最寄りのサルペトリエール病院へ搬送されましたが、ダイアナ妃の頭部と胸部はひどい傷を負っており、すでに助かる見込みはありませんでした。

そして結局、ダイアナ妃は意識を取り戻すことなく、午前4時頃に正式に死亡宣告を受けたのでした。

またこの事故で、実際にダイアナ妃たちが乗っていたベンツは、以下のような状態になりました。

ダイアナ妃 交通事故

画像引用:http://www.afpbb.com/articles/-/2303201?pid=2283604

事故発生後、追跡していたパパラッチの多くは、ダイアナ妃に向けてシャッターを切り続けたそうですが、その写真は暫くの間は公表されてきませんでした。

しかし、事故から年月が経過し、2006年頃になると、イタリアの週刊紙によって「事故直後の車内で、酸素吸入を受ける瀕死のダイアナ元妃の写真」が掲載されました。

以下が、そんなダイアナ妃の事故直後の写真になります。

出血するダイアナ妃を車内から救出している様子が写されており、衝撃的かつグロテスクな要素も含んでおりますので、見ても大丈夫という方のみご覧くださいませ。

↓画像をクリックすると、モザイクがはずれます。↓

また、ダイアナ妃の交通事故に関しては、暗殺説なども浮上しましたが、イギリスでは10年に及ぶ調査と裁判が行われ、その結果、2008年4月7日の陪審でダイアナ妃の死は「過失による交通事故死」という公式結論が出されたようです。

ダイアナ妃の死因は交通事故だが、暗殺説なども囁かれている?

そんな暗殺説まで浮上したダイアナ妃の交通事故死でしたが、その背景には以下のような理由があったようです。

まず、ダイアナ妃の当時の恋人だった故・ドディ・アルファイド氏はイスラム教徒であったため、二人の結婚を機にダイアナ妃がイスラム教に改宗する恐れがあり、未来のイギリス国王の産みの母親が、イスラム教徒という事態を防ぐため。

そして、当時のダイアナ妃は既にドディ氏の子供を身ごもっていたという噂が浮上したため、アルファイド一族が未来のイギリス王の異父兄弟となることを阻止するため。

主に、この2つの理由によって、イギリス政府が暗殺したとする陰謀論が唱えられたようです。

こうした主張は、ドディ氏の父親であるモハメド・アルファイド氏などによって、裁判などでも争われたようですが、ダイアナ妃の妊娠については、検死の結果、事実でない事が判明。

その他の主張についても論破されていき、結局、2008年4月にはダイアナ妃の死は「過失による交通事故死」という公式結論が出されるに至りました。

また、フランスの警察筋の証言によれば、

  • 事故当日、ダイアナ妃とドディ氏がどんなルートを取るかなど誰も知らず、場所も車種も分からない衝突事故を目論むのは不可能
  • ダイアナ妃とドディ氏が、シートベルトをしていたら一命を取り留める可能性はかなり高かったため、被害者が生き残りそうな、結果がどう転ぶかわからない事故を企てる者は居ない

といった理由から、「陰謀論」を否定していたようです。

上記のような経緯によって、諸説あるものの、ダイアナ妃の交通事故は過失によるものという見方が強まっていったようです。

その後も2013年8月には、イギリス陸軍特殊部隊「SAS」所属の狙撃兵が裁判で、SASがダイアナ元妃殺害に関与したとする情報を出して波紋を呼んだようですが、ロンドン警視庁の調査の結果、裏付ける証拠は何もなく信用性なしとの結論が出ています。

しかし2017年6月21日には、元MI5エージェントジョン・ホプキンス氏がダイアナ妃を暗殺したことを告白。

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短い余命宣告を受け、ダイアナ妃暗殺を告白したジョン・ホプキンスさん(画像引用:https://worldtruth.tv

同氏によれば、

上司(2000年代初めに心臓発作で死亡)がエディンバラ公から直接依頼を受け、事故を装い暗殺を決行。

バッキンガム宮殿の管理下にある主流メディアも協力した。

との事です。

ホプキンス氏はイギリス政府のヒットマンとして働き、1973年~1999年にかけて23回の暗殺を行った方で、その職務は「国家安全保障に対する脅威」を抱える個人を、暗殺することを含んでいたそうです。

そして、ダイアナ妃はロイヤルファミリーから直接依頼された唯一のターゲットだったと主張。

さらに、ダイアナ妃だけが暗殺された唯一の女性だったと語っていたようです。

その理由については、

彼女(ダイアナ妃)は、王家の秘密をあまりにも多く知っていた。

彼女は、大きな恨みを持っていて、あらゆる種類の狂気の犯罪を公開するつもりだった。

引用:https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12285510806.html

などと語っていたようです。

またネット上では、ロシアのプーチン大統領が、イギリスのロイヤルファミリーによってダイアナ妃が暗殺された証拠を持っているといった情報も見受けられました。

その理由については、簡潔に述べると、ダイアナ妃の地雷反対運動が、イギリスの地雷取引の利権に関わるためと考えられているようです。

(情報参照元:https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12283718839.html

といったように、あくまで説の域を出ない話ではありますが、ダイアナ妃の交通事故については、これまでに多くの暗殺説や陰謀論が浮上しているようです。

そして、今後も議論が繰り広げられていくのかも知れませんね。

終わりに

という事で、事故から20年の歳月が経った今でも、イギリスをはじめ、世界中の人々から愛され続けている故・ダイアナ元妃の経歴や事故についてご説明させて頂きました。

ダイアナ妃 ファッション

画像引用:https://ameblo.jp/audrey-beautytips/entry-11477057719.html

歴史ある貴族の出身ながら、感情や心を大切にし、真っ直ぐに生きたその姿は、時に足枷となる事もあったでしょうが、現在も多くの人々から親しまれ続ける要因となっているのかも知れませんね。

それだけに悲劇の事故が、過失だったのか陰謀だったのかは、これからも議論は続いていくのでしょうが、少なくともダイアナ妃のその生き方に関しては、偽りのないものだったのではないかと感じました。