杉浦茂峰の経歴や生涯とは?台湾の飛虎将軍となった経緯やエピソード

台湾と言えば、世界中にある親日国の中でも世界一と言っても過言ではない国だと思います。

その背景には日本がこれまでの貢献してきた経緯もありますが、台湾の人々は信心深く、実在したある日本人を神様として崇めている感動的なエピソードがあります。

その日本人とは1944年、20歳という若さで台湾

沖航空戦で戦死された杉浦茂峰(すぎうらしげみね)兵曹長(戦死後に少尉昇進)という方です。

今回はなぜ台湾の人達が杉浦さんを神として崇めているのか、そのエピソードや現在の祀られ方などについて調べてみたいと思います。

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 杉浦茂峰(すぎうらしげみね)の経歴

それではまずは簡単に杉浦茂峰さんの経歴をご紹介したいと思います。

杉浦茂峰

杉浦茂峰(すぎうらしげみね)

生誕      1923(大正12)年11月9日

死没      1944年10月12日(享年20歳)

出身地     茨城県水戸市

戒名      忠勝員義阿繁峰居士

杉浦さんは茨城県に生まれました。

やがて第二次世界大戦が始まり、杉浦さんは海軍として台湾に配属されました。

そして現在も台湾で、飛虎(飛行機の意味)将軍と崇められる事になったエピソードは、この地で起こるのでした。

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杉浦茂峰の零戦が墜落

1944(昭和19)年10月12日早朝、米軍機が台南に来襲し、航空決戦を挑んできます。

杉浦さんも零戦に搭乗して迎えますが、数に勝る米軍に、日本軍の零戦は苦戦を強いられました。

やがて杉浦さんの零戦は敵弾を受けて尾翼から出火。

機体爆発が迫る危機に瀕するも、眼下には台湾の集落が広がっていました。

「このまま墜落すれば、民間人に大きな被害が出る。」

そう考えた杉浦さんは機首を上げ、上昇態勢を取ります。

その後、機体が空中爆発する直前に落下傘で脱出した杉浦さんでしたが、米軍機の機銃掃射を浴び、戦死されました。

村人達が見た不思議な夢 台湾で杉浦茂峰が崇められる理由

そして第2次世界大戦後、台湾の村のあちこちでは、不思議な夢を見たという噂が広まりました。

白い帽子と服を着た日本人の若い海軍士官が、枕元に立っているという夢を見たという者が、皆に話したら、同じ夢を見たという者が複数名、名乗り出ました。

その後、部落の有志が集まり調査した所、一人の日本人海軍士官が部落を戦火から救うために、自分の生命を犠牲にしていた事が判明しました。

その方こそが杉浦茂峰さんで、1971年には、杉浦さんを祀るために、杉浦さんが落下した地点に、廟(びょう)が建設されました。

この廟は飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)と呼ばれ、現在も年中参拝者が絶えないそうです。

飛虎(ひこ)将軍の現在

さらに杉浦さんが、現在でも多くの台湾の方に崇められる理由があります。

それはこの飛虎将軍廟に「お参りすると願いが叶う」という評判があるからです。

実際、昭和46年に廟が建設されてから、お参りをした方々は豊作や家畜の飼育も順調で、宝くじが当たった人まで出たようです。

建設当初は4坪程度だった廟は、1993年には多くの寄付により、敷地50坪の立派な廟へと再建され、さらに信者や参拝者が増えました。

現在も毎日管理人が朝夕2回、生前に杉浦さんが好きだった煙草を点火して、神像と写真に捧げて、日本の国歌「君が代」、午後は「海ゆかば」を祝詞として歌っているそうです。

私達もこの勇敢で立派な、祖先の命がけの行動を誇りに思い、戦争が起こった事実を忘てはいけませんね。