エッセイストの阿川佐和子(あがわさわこ)さん(63)が、今月9日に元大学教授の男性(69)と結婚されたとの発表がありました。
阿川さんと言えば、飾らない気さくなキャラクターが魅力的ですが、63歳には見えないくらい若々しく美しい方ですよね。
そんな阿川さんについてネットで検索していると、「父 聞き間違い 老人病院 介護」などと言ったキーワードが浮かんできます。
阿川さんは2015年にお父さんを亡くされているようですが、一体お二人の関係とはどのようなものだったのでしょうか?
本記事では、上述したキーワードなどを基にしながら、阿川さんとお父さんの関係について探ってみたいと思います。
阿川佐和子(あがわさわこ)のプロフィール
それではまずは簡単に、阿川佐和子さんと、そのお父さんである阿川弘之(あがわひろゆき)さんのプロフィールからご紹介したいと思います。
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阿川佐和子(あがわさわこ)
生年月日 1953年11月1日(63歳)
出身地 東京都
血液型 O型
身長 150cm
デビュー 1981年
学歴 慶應義塾大学文学部西洋史学科卒
職業 エッセイスト、タレント
<主な受賞歴>
- 1999年:講談社エッセイ賞(『ああ言えばこう食う』)
- 1999年:坪田譲治文学賞(『ウメ子』)
- 2008年:島清恋愛文学賞(『婚約のあとで』)
阿川佐和子さんは、作家である父・阿川弘之さんの長女として東京都に生まれました。
幼少期(2歳)の1年間は広島市の伯母宅で育ったそうですが、その後、東京の中野区鷺宮、新宿区四谷へと移られたそうです。
東洋英和女学院中学部・高等部を経て、慶應義塾大学文学部西洋史学科を卒業。
卒業後は織物職人を目指し、様々なアルバイトを経験されたと言います。
1981年、『朝のホットライン』でリポーターを務めたことを皮切りに、報道番組のアシスタントなども務め、1989年からは『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターを務めました。
その後、1998年に討論型バラエティー番組『ビートたけしのTVタックル』で進行役に就任した事をきっかけに、バラエティ番組に出演する機会も増えていきました。
2012年1月20日、エッセイ『聞く力』を出版。
同書はトーハン発表の「2012年年間ベストセラー」総合1位を記録し、「2013年年間ベストセラー」においても総合3位を記録しています。
阿川弘之(あがわひろゆき)のプロフィール
続いては、阿川弘之さんのプロフィールをご紹介いたします。
命日8月3日【NHK人x物x録 #阿川弘之 1920~2015 作家】軍人は悪の代表だった 日本人全部が いわゆる民衆は みんな戦争反対だった そんなことないですよ そんなパターンで戦後の民主主義なんて組み立てられちゃたまったもんじゃない…続きは https://t.co/gOMFr23dzH #NHK人物録 #今日は何の日 pic.twitter.com/tcghAfrq0k
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) August 2, 2018
阿川 弘之(あがわ ひろゆき)
生年月日 1920年12月24日~2015年8月3日(満94歳没)
出身地 広島県
学歴 東京帝国大学国文科
職業 小説家
活動期間 1952年~2013年
<代表作>
- 『春の城』(1952年)
- 『雲の墓標』(1956年)
- 『山本五十六』(1965年)
- 『井上成美』(1986年)
阿川弘之さんは広島県出身の方で、父・阿川甲一さんの長男として生まれました。
広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高等学校を経て東京帝国大学文学部国文科を繰り上げ卒業。
その後、海軍に入隊されたようですが、戦後は志賀直哉さんに師事して小説を書き始めます。
主要作品は、戦記文学や記録文学だそうで、同時期にデビューした吉行淳之介さんらとともに「第三の新人」と称されました。
主な著作は『春の城』(読売文学賞)、『雲の墓標』、『山本五十六』(新潮社文学賞)、『米内光政』、『井上成美』(日本文学大賞)、『志賀直哉』(野間文芸賞、毎日出版文化賞)、『南蛮阿房列車』、『食味風々録』(読売文学賞)などで、1999年に、文化勲章を受章しているようです。(参考:wikipedia)
また厳しい父親としても有名な方で、娘の佐和子さんは「この家に生まれたことが不幸なんだと思った」というほど厳しい家庭だったそうです。
阿川弘之の聞き間違いエピソード
そんな阿川さんの父・弘之さんですが、なにやら聞き間違いのエピソードがあるとの事です。
弘之さんの著書『食味風々録』(しょくみぶうぶうろく)という本の中にも収められているようですが、
- 「スニーカー」→「墨烏賊」(すみいか)
- 「三分の一の値段」→「サンドイッチの値段
- 「宇治の着物」→「鯵(あじ)の干物」
- 「まだ九時前じゃない」→「また栗まんじゅうだ」
- 「世の中」→「最中」
- 「エドワード・ケネディ」→「江戸川のウナギ」
など、多数あるそうです。
年を取って耳が遠くなってきたのを悲観せず、作品のネタにして発表される所などがユーモラスだなと思いますね^^
介護や老人病院
そんな阿川佐和子さんと父・弘之さんですが、佐和子さんも弘之さんの晩年には介護を経験されたそうです。
弘之さんは90歳を迎えた時、自宅で転倒して入院し、誤嚥(ごえん)性肺炎も併発したそうです。
また当時80代半ばだったお母さんも、もの忘れが始まって、耳も遠くなっていたそうで、佐和子さんは”介護離職”も真剣に考えたんだそうです。
結局、佐和子さんの父・阿川弘之さんは、ぎりぎりまで仕事を続けていたので貯えもあり、知人の紹介で教えてもらった老人病院にも空きがあったそうで、老人病院(介護療養型医療施設)で3年半の入院生活を送り、2015年8月に亡くなられたそうです。
佐和子さんのお父さんと言えば、とても怖い方で有名だったのですが、佐和子さんにとって弘之さんは、小さい頃は怖いだけの存在だったと言い、大人になると幾分会話も増えたけれど、それでも常にいつ怒られるか分からない恐怖があったと言います。
そんなお父さんも入院すると少しずつ衰弱していったそうで、毎日ベッドに寝たきりで自由が利かず、排泄もままならず、楽しみは食事と読書だけで、何度も「もういい加減、死にたいよ」と口にしていたそうです。
しかしそれでも、頭はかなりしっかりしていて、「アレを持って来いといったのに忘れたのか!」「そのコップじゃない!」と、相変わらず病室で佐和子さんは叱られてばかりいたそうです。
佐和子さんは、そんな父・弘之さんについて、子ども時代から介護の日々までを『強父論』という著書に綴られているそうです。
仕事や、母と父の介護という重圧を背負った日々にイライラしたり、涙する時もあったそうですが、佐和子さんは持ち前の知恵とユーモアで折れかけた心を立て直していったと言います。
そして、父・弘之さんは2015年8月3日、老衰により逝去されました。
最期を看取った佐和子さんのお兄さんによると、「眠るように逝った」のだそうです。
感想
という事で、簡単ではありますが、阿川佐和子さんと父・阿川弘之さんの聞き間違いエピソードや、介護や老人病院でのやり取りなどご紹介させて頂きました。
佐和子さんと父・弘之さんは独特の親子関係だと思われますが、お互いに憎まれ口を叩きながらも、どこか似ている部分がある親子だったのではないかと感じました。
高齢社会を迎えている日本において、親の介護問題は他人事ではないと思われますが、あまり悲観したり背負いすぎず、佐和子さんのように、ガス抜きをしたり、楽しく付き合っていけたら良いのかも知れませんね。