夫婦揃って、車椅子バスケットボールの世界で活躍されている、藤井新悟(ふじいしんご)選手・郁美(いくみ)選手をご存知でしょうか?
お二人はこれまでに、日本代表としてパラリンピックなど多くの世界大会にも出場されてこられたようですが、車椅子バスケを始められたきっかけや、結婚生活などはどのようになっているのでしょうか?
という事でこの記事では、そんな藤井新悟選手・郁美選手の、
- プロフィールや、車椅子バスケを始めた経緯
- 出会いや馴れ初め、お子さん誕生のお話
などについて、探ってみたいと思います。
目次
藤井郁美(ふじいいくみ)さんのプロフィール 骨肉腫で人工関節に
それではまずは初めに、車椅子バスケットの日本女子代表として活躍されている、藤井郁美さんの経歴やプロフィールをご紹介したいと思います。
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藤井 郁美(ふじい いくみ)
生年月日 1982年11月2日(34歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 159cm?(参照元:http://www.bs4.jp)
所属 クックパッド株式会社、宮城MAX/SCRATCH
ポジション・クラス フォワード/4.0クラス
<主な成績>
- 2006年、アムステルダム世界選手権(オランダ)・女子日本代表6位
- 2008年、北京パラリンピック・女子日本代表4位
- 2010年、バーミンガム世界選手権(イギリス)・女子日本代表7位
- 2017年、大阪国際親善大会・女子日本代表3位
- 2017年、第45回日本車椅子バスケットボール選手権大会・宮崎MAX優勝 ※ベスト5受賞
(情報参照元:www.parasapo.tokyoおよびhttp://sportrait-web.com)
藤井郁美さんは、神奈川県出身の現在34歳になられます。
小学3年生の頃から、ミニバスケットを始められたそうです。
そんな郁美さんですが、15歳の時、骨肉腫によって大腿(だいたい)部と膝関節を切除し、人工関節を装着する手術をされたそうで、日常的には歩行可能なものの、走るなどの運動は出来ないのだそうです。
その後、高校2年生の時に、出身地・神奈川県で車いすバスケットを始められた郁美さんでしたが、本格的に競技を始めたのは20歳の頃だったそうです。
郁美さんが現在の所属チームである「宮城マックス」を知ったのは、車椅子バスケを始めて1、2年の頃だったと言います。
当時、郁美さんが所属していた神奈川のチームと「宮城マックス」が練習試合をした際、激しくゲキを飛ばす岩佐義明監督のもと、良い緊張感を持ってバスケをする「宮城マックス」が強く印象に残ったそうです。
さらに数年後、アテネパラリンピックが終わり、次の北京を目指す日本代表の選考合宿に呼ばれた際、日本代表監督に就任した岩佐監督と再会。
厳しい岩佐監督の指導に「怖い、とても無理」と何度も思ったと言う郁美さんですが、その後、世界選手権などで、フィジカルをはじめ、あらゆる面が世界に通用しない事を痛感し、
勝ちたい、岩佐監督の下でしっかりバスケを学びたい
という思いが湧いてきて、横浜のチームから「宮城MAX」へ移籍を決めたと言います。
そしてこの頃に、「宮城マックス」の男子チームで活躍していた、のちに旦那さんとなる藤井新悟(ふじいしんご)さんと出会われたようです。
そして2008年の北京パラリンピックでは、攻撃の要として出場するなど、車椅子バスケット女子の世界で郁美さんは大きく活躍されてきました。
しかし、その後の車椅子バスケットの日本女子代表は、ロンドン、リオと2大会連続でパラリンピック出場を逃すなど、悔しい思いも重ねられてきたようです。
またプライベートの方では、2012年に藤井新悟さんと結婚。
さらに、2014年12月に長男の蒼空(そら)くんを出産されました。
一時期は、出産と育児のため、車椅子バスケットから離れていた郁美さんでしたが、2015年5月からはまた日本代表に復帰され、現在は2020年の東京パラリンピック出場を目指して、練習に励まれているようです。
藤井新悟(ふじいしんご)さんのプロフィール 事故で脊髄損に
続いては、藤井郁美さんの旦那さんである藤井新悟さんのプロフィールをご紹介したいと思います。
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藤井 新悟(ふじい しんご)
生年月日 1978年1月2日(39歳)
出身地 秋田県出身
勤務 富士通コミュニケーションサービス
所属 宮城MAX
ポジション・クラス ガード/1.5
<主な成績>
- 2008年、宮城マックスの日本選手権初優勝に貢献、自身もMVPに
- 以降、2017年まで日本選手権9連覇中(2011年は東日本大震災のため中止)
- アテネ・北京・ロンドン・リオデジャネイロのパラリンピック出場
など、他にも多くの大会で活躍。
(情報参照元:http://sportrait-web.comおよびhttp://miyagimax.com/)
藤井新悟さんは、秋田県出身の現在39歳になります。
中学、高校とバスケットボール部に所属し、就職した秋田電工でもバスケ部に所属するほどの、バスケットボール好きだったそうです。
そんな新悟さんでしたが、19歳の頃、事故に見舞われます。
ある日、会社の同僚とスキー場へ行ったという新悟さんでしたが、その時に「ここは滑ってはいけません」というようなマニアックなコースがあったそうです。
故意に作られているジャンプ台があり、そこでジャンプしてバランスを崩し、背中から落ちてしまったのだそうです。
瞬間にみぞおちから下の感覚がなくなったそうで、診断の結果は脊髄損。
もう、これからは歩くことができないという結果に、当時の新悟さんはとてもショックを受けたと言います。
当時の新悟さんは、医者に食ってかかったり、家族に当たったり、すさんだ状況だったそうですが、その後、仙台市の病院で、理学療法のリハビリとしてバスケットボールでパスをしている際に、車椅子バスケットボールを紹介されたそうです。
しかし、実際にやってみると、思ったように体を動かせない事や車椅子の操作だけでも、とても難しさを感じたと言います。
初めのうちは、そんな状況に何度も挫折しそうになったり、言い訳をして、練習にもろくに参加しない日々が続いたそうです。
しかし、宮城マックスに入って1年後、初めて出場した日本選手権で、全国の選手を見た時に、
うわっ、こんなに上手い選手がいるのか。
オレは一体何をしているんだろう。
ちゃんと努力もせずに、ただできないことを車椅子バスケのせいにして……すっげぇ、カッコ悪いだけじゃん。
と自分を見つめ直し、その後は練習態度が変わり、メキメキと上達されていったそうです。
同チームの岩佐義明監督の厳しい指導に良い影響を受けたという新悟さんですが、22歳で日本代表入りし、その後は宮城マックスの中心的選手として、日本のトップとして、活躍を続けてこられたようです。
藤井新悟・郁美さん夫妻の出会いや馴れ初め 子供も誕生した
そんな藤井新悟さんと郁美さん夫妻が出会ったきっかけは、郁美さんが新悟さんの所属していた「宮城マックス」に加入した事でしたが、初めの頃はよくケンカもされたと言います。
郁美さんが同チームに入った頃は、新悟さんは遠慮のない物言いだったそうで、「そんな言い方ないんじゃない?」と、我慢ができずに言い返していたそうです。
当時からチームで中心的人物だった新悟さんに真っ向から向かってくるメンバーは少なく、新悟さんは郁美さんの言葉で初めて気付かされる事もあったそうです。
具体的にいつ頃から、お二人が交際されたのかについてはハッキリとは分かりませんでしたが、新悟さんは郁美さんと一緒になってからは柔らかくなり、より相手の立場に立った伝え方をされるようになったとも言われているようです。
しかし、そんなコートの中では気丈なお二人も、普段は周りに弱い面を見せるのが苦手という点では似ているとの事で、またそんなお二人だからこそ、一緒に居て素直に弱音や泣き言を言い合える事が大事だと感じているそうです。
そしてお二人は、2012年に結婚。
さらに2014年12月には、長男・蒼空(そら)くんが誕生しました。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 4, 2019
また以下の動画では、そんな藤井新悟さん・郁美さん夫妻ご本人によって、息子・蒼空くんに対する思いやお互いへの思い、バスケを続ける理由などが語られていました。
お互いに尊敬し合えていたり、息子さんの事を大切に考えている様子が覗えますね。
また、息子さんに2020年の東京パラリンピックで活躍する姿を見せたいと考えているようにも感じられました^^
おわりに
という事で、車椅子バスケットボールの世界で夫婦で揃って活躍されている藤井郁美さんと藤井新悟さんについて、簡単ではありますがご紹介させて頂きました。
お互いに大変な病気や事故を経験され、これまでの道のりは、た易いものではなかったと思いますが、お二人の笑顔やプレー姿を見ていると、個人的にはそういった辛さを感じませんでしたし、それだけお二人に魅せられていたという事だと思います。
これからも子育てなど大変な時期で、バスケットボールとの両立は大変だとは思いますが、是非、2020年の東京パラリンピックで活躍する姿を見せて頂きたいですね!