2006年に自身の娘である彩香ちゃんと、その友達の米山豪憲君を殺害した犯人として、現在無期懲役刑に服している畠山鈴香(はたけやますずか)受刑者。
事件の悲惨さや、当時の畠山受刑者の言動や行動などから、日本中を震撼させた事件ですが、事件が起こってから10年以上の歳月が経った現在、畠山受刑者やその周辺の方々はどうしているのでしょうか?
この記事では、秋田児童連続殺害事件の概要や、畠山受刑者の生い立ちや犯行動機、また現在の状況や弟、夫について探っていきたいと思います。
目次
畠山鈴香が起こした秋田児童連続殺害事件の概要
それではまず、畠山受刑者の引き起こした秋田児童連続殺害事件の発生の経緯や、畠山受刑者が逮捕されるまでの流れについて振り返ってみたいと思います。
この事件の発端となったのは、2006年の4月10日、小学校4年生だった畠山彩香ちゃん(当時9歳)が、自宅から10キロ離れた川で水死体となって発見された事でした。
彩香ちゃんの遺体が発見される前日の4月9日、秋田県藤里町で同町営団地に住んでいた畠山鈴香受刑者(当時33歳)は、彩香ちゃんを車に乗せて、自宅から数キロ離れた大沢橋の欄干(らんかん)に連れて行き、下を覗き込んでいる彩香ちゃんを突き落として殺害しました。
この事案を受けて秋田県警は、当初は彩香ちゃんが誤って川に落ちたものと断定し、事故死として処理していました。
しかし5月18日には、彩香ちゃんの2軒隣に住む米山豪憲(よねやまごうけん)君(当時7歳)が約12km離れた川岸で遺体で発見されます。
豪憲君は5月17日の下校途中に行方不明になり、両親は警察に届け近所の人達と付近を捜しましたが、発見出来ませんでした。
そして翌日の18日、ジョギング中の男性が豪憲君の遺体を発見し、警察が検証した結果、首に絞められた痕があり殺人事件と断定し捜査が始まりました。
地域住民は、同じ団地内で1ヶ月の間に2人の児童が亡くなったことに衝撃を受け、やがて疑いの目は畠山受刑者へ向けられていきました。
当時の畠山受刑者は、
自分の娘も殺された
警察は、もう一度捜査して欲しい
などと発言し、積極的に報道のインタビューに応えるなどしていましたが、供述が二転三転したり、アリバイがはっきりしない点などから重要参考人としてクローズアップされる事に。
そして捜査本部は、6月5日に豪憲君の死体遺棄の容疑で畠山受刑者を逮捕するとともに、家宅捜査を行いました。
その結果、豪憲君のものとみられる体液や血痕などが発見され、翌日畠山受刑者が豪憲君の殺害をほのめかす供述をしたため、同月25日に豪憲君の殺害容疑で再逮捕。
更に7月18日、綾香ちゃんを欄干から突き落したと自供したため再逮捕しました。
畠山鈴香の犯行の動機・理由は?
そんな畠山受刑者ですが、二人の児童を殺害してしまったその動機や理由とは何だったのでしょうか?
結論から言うと、畠山受刑者が二人の児童を殺害した動機や理由については、現在でもハッキリとは分かっていないようです。
しかし、畠山受刑者の逮捕後の供述や生い立ち、人格などから以下のように推測されているようです。
彩香ちゃんを殺害した動機については、畠山受刑者は彩香ちゃんの出生直後から「愛したくても愛せない」といった悩みを抱えていたとされ、困窮する生活を変えたくても、彩香ちゃんが足かせになっていると感じていたようです。
また父親の介護に疲れ、逃れたいと思う中、彩香ちゃんが駄々をこねたのがきっかけで疎ましさが爆発し、
彩香を排除すれば未来が開けるのではないか
と、とっさに考え殺害に至ったとも言われています。
2006年4月9日午後6時40分過ぎごろ、畠山受刑者は彩香ちゃんに大沢橋の欄干のすき間から川面を見せ、暗くて魚が見えないことを納得させようとしましたが、彩香ちゃんが「見たい見たい」と言って帰ろうとしなかったため、急激にイライラが高まり、とっさに突き落としました。
また豪憲君への犯行に関しては、以下のような意見があるようです。
豪憲君への犯行当時の5月17日午後3時半ごろ、畠山受刑者は彩香ちゃんの部屋でぼーっとしていたときに、窓の外に豪憲君の姿を見かけ、
豪憲君、あのね、彩香の思い出に、何かをもらってほしいんだけど
といって、豪憲君を自宅に招き入れます。
畠山受刑者は、豪憲君の靴を脱ぐ様子や、かぶっている帽子を見て、
彩香に似ている
と思ったそうです。
犯行の実行には、玄関にあった軍手をはめ、着物の腰ひもを取って、豪憲君の後ろから首に回しました。
豪憲君が「なに?」という顔で振り向いたところを、畠山受刑者は目をつぶって首を絞め、夢中になって、絞めているうちに目を開いたら、自分も豪憲君も崩れ落ちるようになっていたと、弁護士に話しています。
畠山受刑者が豪憲君を殺害したのは、自分の娘であった彩香ちゃんを失い、
他の子は元気なのに、彩香はいない。
なんで彩香がいないのか。
という思いが湧き上がったからだと言います。
彩香ちゃんを失った悲しみ・苦しみや、豪憲君にも天国で彩香ちゃんの傍に居てほしいという願望から犯行に及んだという意見がある一方、
彩香の死が事故ではなく(他人が起こした)事件であるとの主張に目を向けさせる絶好の機会は今しかない
という考えから犯行に及んだとも言われていますが、いずれにしてもはっきりとした動機は分かっていません。
畠山鈴香は生い立ちや寄せ書きが壮絶だった?
そんな畠山受刑者ですが、その生い立ちは壮絶で学生時代にはひどいイジメにも合っていたといいます。
畠山受刑者は、小学校高学年になると父が振るう暴力の対象となり、中学に入るとエスカレートします。
また「心霊写真」「ばい菌」などと呼ばれるなど、小学校時代からいじめを受けていました。
中学時代はほとんど無視され、高校時代はリーダー的存在の使い走りになって、いじめに遭うのを避ける工夫をしたとも言われています。
そんな畠山受刑者の辛辣な少女時代を物語るエピソードのひとつに、高校卒業時の寄せ書きがあります。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 5, 2019
- bye2 一生会わないでしょう
- bye2 目の前に来んな!!
- やっと離れられる。3年間はちょっと…
- 秋田から永久追放
- 仕事やめで秋田さかえってくるなョ。
- いつもの声で男ひっかけんなよ!
- いままでいじめられた分、強くなったべ。俺達に感謝しなさい。
などなど、コメントのほとんどが畠山受刑者への心無い中傷だったようです。
こうした畠山受刑者の生い立ちやイジメなどが、2人の児童の殺害に関係したかは、筆者は専門家ではないため分かりませんが、周囲からの愛情や友情などの欠如は、畠山受刑者の心にトラウマや歪みを生んでしまったのかも知れませんね・・・。
畠山鈴香の夫 現在は離婚?
そんな辛い学生時代を経験してきた畠山受刑者でしたが、高校を卒業後は父親の暴力から逃れたいと思い、友人を通じて知り合った男性と駆け落ちのように栃木県で住み、温泉旅館で住み込みで働いたそうです。
仲居やコンパニオンとして働き、畠山受刑者の実家があ
る二ツ井町(現能代市二ツ井町)に戻り、この男性と結婚しました。
しかし、二人は口論が絶えずほどなく離婚。
その理由について、元夫は、
畠山受刑者が家事などをしなかったため
と述べていたようですが、畠山受刑者は、
洗濯は私がしていた
夕食は肉じゃがなどを作り置きしていた
鋲(びょう)付きのジャンパーを彩香に投げつけたので離婚を決意した
などと反論し、意見が食い違っているようです。
この辺りの真相に関しては、当事者同士しか分からない部分があるとは思いますが、離婚後の畠山受刑者の生活は崩れていきました。
畠山受刑者はパチンコや夜遊びにはまり、数百万円の借金を抱えて自己破産。
さらに実家もダンプの運送会社を経営していたものの、行き詰まり破産してしまいました。
畠山受刑者は、栃木から秋田へ帰郷後は、スーパーやパチンコ店、さらにはスナックのホステスや宴会のコンパニオン、生命保険の営業外交員など、職を転々としていました。
しかし、パチンコ癖は治らず、さらに夜遊びも重なって自己破産。
家庭生活はメチャクチャで、彩香ちゃんは家ではカップラーメンなどが主な食事で、ろくなものを食べさせてもらえなかったため、学校の給食の時間を一番の楽しみにしていたそうです。
またデリヘルで働いていた頃は、馴染みの客を自宅に呼んでいて、その時は彩香ちゃんを外に追い出すなど、ひどい子育てだった一方、科学が好きだった彩香ちゃんに子供向けの科学雑誌を定期購読させてあげたり、本屋で「これ買って」と本を持ってくれば、それを買ってあげていたそうです。
その他にも畠山受刑者が彩香ちゃんに愛情を注いでいたエピソードは数多くあり、娘を「愛したいけれど、愛しきれない」といった苦悩や葛藤が畠山受刑者の中にもあったのかも知れませんね・・・。
畠山鈴香の弟は? 姉の逮捕後は失業し、生活保護受給?
さらに畠山受刑者には弟がいるのですが、畠山受刑者が事件を起こす前は運転代行業者に勤めていたようですが、事件後は客などから姉について言われる事も増え、2007年に退職しています。
その後は、母親と共に生活保護を受けながら生活していて、畠山受刑者の判決後にはハローワークに通っているものの、就職は決まっていないと言われていました。
現在がどうなっているかは不明ですが、当時は痩せ細ってしまっていたそうで、心労や周囲からの目に悩んでいたようです。
畠山鈴香の現在、服役中の刑務所は?
そんな自身の娘の彩香ちゃんのみならず、娘の友達だった豪憲君やその遺族、また自身の親族などの人生を狂わせてしまった畠山受刑者ですが、2009年に無期懲役刑が確定しています。
現在、何処の刑務所で服役しているかについては、具体的に明かされていませんが、「福島刑務支所」ではないかと考えられています。
本当に多くのものが失われてしまった、畠山受刑者が起こした秋田児童連続殺害事件ですが、どの関係者の立場で考えてみても、無念さを抱かずにはいれません。
彩香ちゃんと豪憲君のご冥福をお祈りするのは勿論ですが、今後このような悲惨な事件が起こらないよう、家族や地域社会のあり方について、私達も考えていかなければならないのかも知れませんね。
読者様のコメント
虐待の連鎖があるとも、言われている。
また虐待する親は、気まぐれに愛情を注いだりする。
ペットのような扱いで、自分が寂しいときに相手にするようのものかな?
だからこそ子供は苦しむし、周囲も発見できなかったりする・・・