2月11日の午前10時から、全国的に「祖父の日記 ~時を超え 家族に伝える戦争の真実~」という番組が放送されます。
第31回民教協スペシャルに選ばれた今作は、ディレクターであり出演者である、井上佳子(いのうえけいこ)さんの祖父・井上富廣さんの日中戦争での足取りを追ったドキュメンタリーとなっているようです。
几帳面な祖父・井上富廣さんは出征までの四年間を日記に記していて、さらに最近妻のツギエさんにあてた19通の手紙が、遺品の中から見つかったそうです。
今回は「祖父の日記」の概要や、井上富廣さんの孫である井上佳子さんについて調べてみたいと思います。
井上佳子(いのうえけいこ)のプロフィール
それではまずは今作のディレクターであり、主要人物・井上富廣さんの孫である井上佳子さんの経歴からご紹介したいと思います。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
井上佳子(いのうえけいこ)
生年月日 1960年
出身地 熊本県熊本市
学歴 熊本大学卒業
経歴 熊本放送テレビ制作部ディレクター兼プロデューサー
熊本県で生まれ育った佳子さんは、熊本大学を卒業後、熊本放送に入社されます。
アナウンサー・報道記者・ラジオ制作部ディレクタ ーなどを経て、現在はテレビ制作部ディレクター兼プロデューサーを担当されているようで、他にも数々の番組の制作をされているようです。
民教協スペシャル「祖父の日記」の概要 井上富廣について
それでは、「祖父の日記」を書いたその人物である、井上富廣さんの生涯や戦場での活動などについて、見ていきたいと思います。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
現在のところ井上富廣さんに関する詳しい情報はほとんどなく、詳細は番組内で直接語られるのではないかと思いますが、番組の予告や紹介文、「祖父の日記」の説明などから現時点で分かる事を記します。
井上富廣さんは1938(昭和13)年、27歳という若さで、中国戦線で死去されました。
当時、富廣さんには妻と3歳の息子がいました。
それが、佳子さんの祖母と父親でした。
召集されるまで富廣さんは、熊本の片田舎で米を作っていて、出征までの四年間を日記に記していました。
大地を耕して作物を作る喜び、伴侶を得たことの嬉しさ、そして軍国の一翼を担いたいという強い思い。
四冊の日記は毎日を細かい文字でびっしりと埋められており、祖母から父に渡り、そして現在佳子さんの手元にあります。
天候に右往左往しながらも野良の作業が進む喜びや、結婚し二人仕事になり、決して経済的に恵まれない暮らしの中でも前を向いて生きる姿が描かれているそうです。
そして最近になって、富廣さんが中国に行ってからの日記と、戦地から妻ツギエさんにあてた19通の手紙が、遺品の中から新たに見つかったといいます。
そこで新たに分かった富廣さんの足取りは、富廣さんは門司港を出航して上海に上陸後、わずか47日で戦死していたというものでした。
日記は、上海に上陸直後、家をなくしてさまよう中国人を憐れに思う言葉で始まっていますが、富廣さんは次第に戦闘に駆り立てられていきます。
参考:http://tv.yahoo.co.jp/program/26157446/
井上佳子の祖父・富廣への想い
そして今回、佳子さんが祖父・富廣さんについて、深く探ろうとしたきっかけやその想いについては、以下のように語られています。
家族や、過去、現在、そして未来を見つめる上で、とても考えさせられる内容でしたので掲載させていただきたいと思います。
祖父が遺した日記を初めて目にしたのは、私が大学生の頃でした。
野良仕事に精を出し、恋愛するごく普通の若者の姿がそこにありました。
写真でしか知らなかった祖父が、初めて体温を伴って語りかけてきたような気がしたものです。
それ以来、この日記に向き合うことは私の宿題となりました。
でも何となく避け続け、遂に戦後70年を超えてしまいました。
このままだと、もう何もわからなくなってしまう。
お尻をたたかれる気持ちで、3年前、日記を丹念に読み始めました。
出征前の20歳から25歳の祖父は、とてもおおらかで、少しおっちょこちょい。働き者で家族思いでした。
そして、おととしの4月、父が偶然、祖母の遺品のたんすから、出征後の日記を見つけたのです。
そこには、家族の知らない、戦場の祖父の一面がありました。
戦場の祖父に共存する温かさと冷たさ。
これが今回の番組のテーマとなりました。
予想はしていたものの、やはり取材は困難を極めました。
祖父の所属した第六師団第十三連隊の戦友会の名簿をもとに750人の方に手紙を出しましたが、この戦争を知る当時者に行き着くことはとうとうできませんでした。
79年前の戦争ですから、仕方のないことかもしれません。
一方、中国では、子供の頃の体験としてこの戦争を記憶している十人ほどに話を聞くことができました。
しかしいずれにせよ、もっと早く取り掛かるべきだったという思いは最後までつきまといました。
今回の番組は、父、息子と一緒に祖父の戦争に向き合いました。
最初は果たしてうまくいくのかとても不安でしたが、何とか完成させることができました。
多くの示唆を与えてくださった審査員の方々に心から感謝しております。
これからも、祖父の伝言を未来に大切に引き継いでいこうと思っています。
引用:http://www.minkyo.or.jp/01/2017/01/sp_31.html
井上佳子のその他の活動
井上さんは今回の「祖父の日記」意外にも、「JNNドキュメント・ムーブ」という番組で数々のドキュメンタリーの制作に関わってこられたようで、さらには著書も幾つか出版されているようです。
また詳細は分かりませんが、ドキュメンタリー「祖父の日記」を制作するにあたって、お父さんや息子さんと一緒に祖父の戦争と向き合ったとコメントされていますので、ご家族やお子さんもいらっしゃるようですね。
著書
- 「孤高の桜~ハンセン病を生きた人たち~」(葦書房)2000 年 第 19 回潮賞ノンフィクション部門受賞
- 「壁のない風景~ハンセン病を生きる~」(弦書房)2005 年 第 21 回地方出版文化功労賞奨励賞受賞
- 「三池炭鉱『月の記憶』~そして与論を出た人びと~」(石風社)2011 年
※現在「祖父の日記」を執筆中。
今後も素晴らしい番組の制作を願っています。
読者様のコメント
番組では、井上上等兵と紹介されておりましたが、写真の階級章は、伍長のものです。どうしてそんなことになったのでしょうか?
当ブログをご覧いただきましてありがとうございます。
管理人のユーヤと申します。
ご質問の件について調べさせていただきましたところ、下記のソースが参考になりました。
urlが見れない、既に拝見済みといった場合もあるかと思いますが、何卒ご了承くださいませ。
http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=11818/
上記のページ内の「九州日日新聞」と「アサヒグラフ」の説明が特に参考になるかと思われます。
正確な事実は、私の知識では判断出来かねますが、これらの情報を見るに、井上富廣さんは死去される以前のどこかの時期に、上等兵から伍長に昇進されていたのかもしれません。
ご期待に沿える回答ではないかも知れませんが、何卒ご了承頂きますようお願い申し上げます。
当時は、まだ、厳然とした階級社会です。将校と下士官、兵とでは、厳格な階級差が残っておりました。陸軍士官学校、海軍兵学校を出ないと、将校にはなれませんね。昭和18年頃からの、学徒動員によって、士官と兵の階級性も、若干乱れてきましたけど、士官と兵、下士官では、その頃も、厳然とした、階級差が存在しておりました。学徒動員のにわか少尉でも、任官は、内閣がするんですよ!内閣が、少尉に任ずる!内閣!軍籍簿を見せましょうか?(笑)
知りたいのは、この人が、以前応召して、再度、召集されたのかどうか。
二度目ならば、上等兵で伍長というのもわかるけど、
初めて召集されて、上等兵も伍長もない!
つじつまってのは、どんどん合わなくなるので、ご用心(笑)
はじめまして、ニワカ様。
管理人のユーヤと申します。
ご指摘のほど、有難う御座いました。
また私の見識の浅さで、正確な回答が出来ず申し訳ございませんでした。
今後は正確な情報を掲載できるよう、情報収集に努めてまいりたいと思います。