1998年1月14日の夜、群馬県群馬町(現・高崎市)で電気工事業を経営していた石井武夫さん(当時48歳)とその妻の千津子さん(当時48歳)、さらに武夫さんの母であるトメさん(当時85歳)の一家3人が殺害されるという痛ましい事件が発生しました。
そしてこの事件は、21年の歳月が経った2019年現在も犯人が逮捕されておらず、未解決事件のままとなっております。
この記事では、「群馬一家3人殺害事件」と呼ばれるこの未解決事件の概要や容疑者の情報、また被害者家族の今について、可能なかぎり探ってみたいと思います。
目次
群馬一家3人殺害事件の概要
それではまずは初めに、「群馬一家3人殺害事件」の概要からお伝えしたいと思います。
この事件についてはwikipediaにもページがありますが、2013年9月に放送された「犯罪列島2013」というテレビ番組で、被害者女性の証言などを元に、より詳細な再現VTRが放送されていましたので、そうした情報も織り交ぜながら見ていきたいと思います。
事件発生の経緯 容疑者が被害者の子供のストーカーだった
まず、この痛ましい事件が起こってしまった背景には、犠牲者となられた石井さん夫妻には娘さんがいて、この女性が容疑者からストーカー行為を受けていたという経緯がありました。
2013年9月放送の「犯罪列島2013」では、このストーカー被害に遭われていた女性はA子さんと呼ばれていました。
そして、A子さんに対して度重なるストーカー行為に及んでいたのが、事件の容疑者でもある小暮洋史(こぐれひろし)という男でした。
A子さんと小暮容疑者が出会ったのは事件の2年前で、当時A子さんは20歳でした。
当時、A子さんはドラッグストアに勤めていて、明るく美人で人気者だったといいます。
そんなA子さんが働くドラッグストアに荷物を配送していたのが、運送会社で働く小暮容疑者でした。
人付き合いが苦手だったという小暮容疑者ですが、顔を合わせるうちにA子さんへ一方的に思いを募らせていき、やがてストーカー行為が始まりました。
小暮容疑者はA子さんが帰宅するのを待ち伏せ、車で後をつけ自宅を特定。
名前と住所から、電話番号まで調べ出したようです。
そして、無口で人見知りするタイプだったという小暮容疑者ですが、A子さんに対してはいきなり電話を掛けてきて、
俺だけど分かる?いつがヒマ?遊びに行こうとか。
などという話をしてきたとのこと。
A子さんはこうした誘いを断わりましたが、ある日、職場の同僚に誘われてボーリングに行くと、なんと同僚が声をかけた男性メンバーの中に小暮容疑者がいたといいます。
そして、この日を境に、小暮容疑者のストーカー行為はさらに執拗になっていったそうです。
エスカレートするストーカー行為
その後も電話で、A子さんを誘う小暮容疑者。
さらには、A子さんの自宅にまで姿を現すようになります。
また、A子さん以外(父親など)が出ると、無言で切れる電話が深夜に及ぶまで掛かってくるようになったそうです。
こうしたエスカレートしていく小暮容疑者のストーカー行為に、不安を覚えたA子さんは車で通勤するように。
しかし、ある日仕事を終え車に戻ると、車の窓とワイパーの間には以下のような手紙が挟まれていたと言います。
石井さんへ
今日、仕事終わったら会えないかな?
何時でもいい。
待ってるから。
小暮
さらに、この手紙を見つけたA子さんの背後には、小暮容疑者の姿が。
A子さんは車を置いて逃げたそうですが、気配を感じて振り向くと、小暮容疑者が乗った車が付けてきていたそうです。
そしてこれが、A子さんが事件前に見た小暮容疑者の最後の姿になるのでした。
また、当時のテレビ番組でA子さんは、こうした小暮容疑者について、
何をするかわからない怖さ。 この人、何かするんじゃないかなって。
と思いを語っていました。
その後、歪んだ愛情は憎しみに変わったのか、小暮容疑者は事件の10日前に、メモを残して会社を辞め、凶行に及ぶのでした。
事件発生時の様子
そして1998年1月14日夜、小暮容疑者はA子さんの自宅へ侵入。
この日の関東地方は、大雪に見舞われたそうです。
しかし、当初、自宅に居たのはA子さんの祖母・トメさんだけで、小暮容疑者はまず、トメさんの首を絞めて殺害し、家の中に身を潜めました。
続いて、A子さんの母・千津子さんが帰宅。
すると小暮容疑者は再び姿を現し、台所にあった包丁で千津子さんを殺害しました。
悲しいことに、この日は千津子さんの48回目の誕生日だったといいます。
さらに午後8時半頃になると、今度はA子さんの父・武夫さんが帰宅。
小暮容疑者は武夫さんをメッタ刺しにして殺害し、こうして2時間足らずの間に3人の命が奪われてしまったのでした。
A子さんが帰宅 小暮洋史容疑者と対面
さらに小暮容疑者は、トメさんの遺体を階段下、武夫さんと千津子さんの遺体を浴室に隠し、家の中に身を潜めます。
そして午後9時、何も知らないA子さんが帰宅。
お母さんの誕生日を、祝うつもりだったそうです。
すると小暮容疑者が、玄関でA子さんに襲いかかったと言います。
小暮容疑者は、A子さんを玄関脇の部屋(祖母・トメさんが殺害された場所)に押し込みます。
そして10時40分になると、小暮容疑者は家を出ていったとのことです。
つまり、小暮容疑者とA子さんは事件当日、1時間半少々を共にいたことになります。
2人は話をしていたそうですが、具体的な内容については確信的な情報は掴めませんでした。
しかし2013年9月放送の「犯罪列島2013」では、A子さんの、
事件の当日は、(小暮容疑者が)いつも帰ってくる時間とかを知ってた口ぶりで、今日は帰りが遅かったねと言われて。
というコメントは紹介されていました。
さらに、ネット上には、A子さんが小暮容疑者を説得し、話をして落ち着かせると、小暮容疑者は車に乗って立ち去ったという情報も見受けられました。
夜21時頃に帰宅した彼女だが、即座に監禁されるかと思いきや、長女は期せずして話し
いの場面に遭遇し、小暮容疑者を説得することに。
小暮容疑者はその時、玄関先に立ち尽くし呆然としていたという。
長女は勇敢にも興奮した小暮容疑者を落ち着かせるために、彼を一旦家の中に招じいれ
そこで話をし、しばらくして落ち着いた小暮容疑者は、おもむろに車に乗って立ち去っ
という。
引用:
『指名手配犯 小暮洋史 現在の目撃情報』小暮洋史(こぐれひろし)被疑者 懸賞金上限額:300万円生年月日:1969年(昭和44)7月31日身長:170cm位群馬一家3人殺害事件。(群馬県警察手配:…
こうした経緯で、A子さんには危害が加えられることはなかったのですが、小暮容疑者が立ち去った後、その凶行の全てを目の当たりにすることになるのでした。
事件発生後から現在まで
そして、小暮容疑者はこの事件の容疑者として断定され、全国に指名手配されることに。
事件当日の犯行後、小暮容疑者は国道50号線を水戸市方面に逃走したと見られているようです。
犯行後の1月21日深夜には、群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で小暮容疑者の愛車である黒の日産・シルビアが確認されていたようですが、以降足取りは途絶え、2019年現在も行方不明となっています。
さらなる小暮容疑者の情報については、次段落以降に記載したいと思います。
小暮洋史(こぐれひろし)のWikiプロフィール 特徴や性格は?
では続いては、このような残虐な事件を起こしたとされる小暮洋史(こぐれひろし)という人物について、見ていきたいと思います。
まず、小暮洋史容疑者の基本的なプロフィールについては、以下のようになります。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 29, 2019
小暮 洋史(こぐれ ひろし)
生年月日 1969(昭和44)年7月31日(49歳・2018年時点)
出身地 群馬県前橋市
学歴 群馬工業高校卒
身長 170㎝位
特徴 やせ型、面長、潔癖症
備考 事件当時の車は、日産の黒のシルビア(ナンバーは「群馬33も86‐70」)
2019年現在も指名手配中の小暮容疑者ですが、その顔画像には以下のようなものもあります。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 29, 2019
さらに↓は、現在の小暮容疑者の推測の姿になります。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 29, 2019
正直、上記のツイート画像のような姿であってくれればまだ分かりやすいとは思いますが、髪型が違ったりメガネやヒゲなどもあれば、なかなか現在の小暮容疑者の姿を想像するのは困難かな?という気はします。
何とか、どこかから有力な目撃情報が寄せられることを願いたいですが…。
ちなみに、↓は小暮容疑者が乗っていた愛車のシルビアと言われています。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 29, 2019
また2013年9月放送の「犯罪列島2013」では、小暮容疑者の癖として、
爪を噛む、手のにおいをかぐ
という情報も公開されていました。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 29, 2019
小暮洋史の生い立ちや人物像
また、小暮洋史容疑者の生い立ちや性格については、大手メディアなどの情報は見つからなかったものの、ネット上では以下のような情報が散見されました。
- 学生時代はほとんど友達がいなかったようで、地元の群馬工業高校を卒業後は、トラック運転手として働いていた。当時の小暮容疑者を知る人はほとんどいない。
- 仕事ぶりはまじめで、トラブルなどはなかったようだが、いつも無表情で誰とも口をきかず、人付き合いが苦手で後輩の面倒見はとても悪かった。
- 高校時代も運送会社時代も、決して目立つ存在ではなかったが、凶行に及ぶような兆候はなかった。
参照:
上記のような情報が事実だとすれば、小暮容疑者は内向的で協調性のあまりない人物だったと考えられそうですが、仕事などは問題なくこなしていたようですし、このような凄惨な事件を起こしてしまったのは残念でなりませんね。
その素性について、あまりよく知る人がいないというのは、小暮容疑者がどこかで孤独だったことを表しているのかも知れませんし、そうした面が自己中心的な性格を作り上げてしまったのかも知れません。
小暮洋史は、2019年現在も愛車・シルビアごと行方不明 目撃情報や死亡説も
既に前述したとおり、小暮洋史容疑者は2019年現在も逃亡中で行方は分かっていないのですが、事件後、群馬県警には2018年12月末時点で1817件の情報が寄せられているそうです。
しかし有力な情報は、おそらく事件発生から1週間後の深夜に、群馬県太田市や埼玉県熊谷市周辺で確認された、小暮容疑者の愛車・シルビアの情報以降はないものと思われます。
また、小暮容疑者についてネットで調べてみると、なにやら「似てる」という関連キーワードが浮かんできます。
もし本当に、小暮容疑者に似た人物の情報があるとすれば大ニュースだと思われますが、ヤフーの知恵袋には以下のようなQ&Aがありました。
(Q)2007/9/26
群馬県で一家3人を殺害した小暮洋史
っていましたよね?
大阪で似た人を4,5年前に見たのです。
ちがいますかね?
(A)2007/9/26
警察に通報してください。
(質問者からのコメント)
群馬県 前橋署に 通報しました。
同じような報告が 大阪からほかにもあったと言っていました。
もし犯人なら 早く逮捕されたらいいですね。
参照:
群馬県で一家3人を殺害した小暮洋史っていましたよね?大阪で似た人を4,5年前に見たのです。ちがいますかね? - 警察に通報してくだ... - Yahoo!知恵袋群馬県で一家3人を殺害した小暮洋史っていましたよね?大阪で似た人を4,5年前に見たのです。ちがいますかね? 警察に通報してください
つまり、2000年代半ばに大阪で小暮容疑者に似てる人物の目撃例が相次いでいたということになりそうです。
また、これと関係しているかは不明ですが、2009年頃には以下のような報道もあったようです。
事件から11年。小暮容疑者に関する有力な情報はなく、行方も分かっていない。県警刑事企画課によると、事件から今年9月末までに高崎署捜査本部に寄せられた情報は646件。「小暮容疑者に似ている人を見かけた」などの情報が中心だが、いずれも空振りに終わっている。県警は「事件の解決と風化防止のためにも、どんな小さなことでも情報提供をしてほしい」と呼びかけている。
参照:
Yahoo!ブログ サービス終了Yahoo!ブログ サービス終了
時期的には上記2件は一致していますが、これらの情報から10年が経過した現在も小暮容疑者の有力な情報は判明していないので、これらの似てる人物の目撃証言は残念ながら小暮容疑者ではなかった可能性が高そうですね。
その他には、ネット上からは有力な小暮容疑者の似てる情報は見つけられませんでした。
また小暮容疑者については、既に死亡しているのでは?という推測も一部では囁かれているようです。
その理由としては、小暮容疑者が事件直前に、知人に「警察に見つからずに死ぬ方法がある」と話していたという証言があるようです。
また、小暮容疑者は知人とドラマを見ている際、追い詰められながらも何とか逃げようとする犯人役の姿に「俺ならこんなことはしない」と漏らしたという情報も。
参照:
さらに、小暮容疑者名義の金融口座には全く動きがなく、生活感が感じられないとも言われています。
こうしたことから、警察は逃走車両ごと自殺を図った可能性も視野に入れ、群馬県内外の湖沼約20個所を捜索したそうですが、痕跡すら発見できなかったとのことです。
といったところが小暮容疑者の自殺説の情報ですが、個人的には自殺というのはそんなに簡単に出来るほど易しい行為ではないと思いますし、もし仮に最初から自殺するつもりだったとして、なぜ好意を寄せていたA子さんには危害を加えず、その家族だけを殺害したのか、目的や動機に疑問点が残ります。
また、小暮容疑者の愛車が見つかっていない点についても、やはり車ごと誰にも発見されない場所へ…といった推測も出来そうですが、こうしたことを総合すると、生き延びていたとしても不思議ではない反面、死亡していたとしてもまた不思議ではないという気がしますね。
色々な疑問点も残る小暮容疑者の行動ですが、被害者のご遺族の思いが少しでも晴れるように、せめて真実だけは明らかになって欲しいなと思います。
被害者家族の今 小暮洋史容疑者の贖罪や事件の風化防止を求め、訴訟も
また、この事件で犠牲になられた被害者のご遺族については、実際に小暮洋史容疑者にストーカー行為を受けていたA子さんと、そのお兄さんがいらっしゃることは判明しています。
ご遺族は2018年11月、「肉親を被告の身勝手な犯行により殺害され、突如失望と悲嘆のどん底に突き落とされた」などと主張し、自身への慰謝料に相続した損害賠償請求権の分なども加えた約1億370万円の支払いを、指名手配中の小暮容疑者に求める訴えを起こしています。
この訴訟を起こした理由について、ご遺族は以下のようなコメントをされていたようです。
刑事裁判を免れて逃走を続けている小暮と向き合う決意の証として、また、最愛の父、母、祖母への弔いとして、民事訴訟を起こしました。
ただ、小暮が逮捕され、正当な裁きを受ける日が来るまで、真に父、母、祖母を慰霊し、その安らかな永眠を信じることはできません。
参照:
高崎の一家3人殺害事件から21年 解決へ「全力」群馬県高崎市(旧群馬町)で平成10年1月14日、一家3人が殺害された事件で、県警は事件から21年が経過した14日、JR高崎駅で、殺人の疑いで全国指名手配中の小暮…
以下の記事にも、そんなA子さんの思いが記されています。
また2013年9月放送の「犯罪列島2013」では、ストーカー被害に遭われたA子さんがお兄さんと共に、事件を乗り越えたいという思いから、事件後、初めて悲劇が起こった家に足を踏み入れる様子が放送されていました。
つまり、その間のおよそ15年は、A子さんはご自身の家だった場所にすら入れないほどの恐怖を抱えていたのではないかと思われます。
また「犯罪列島2013」のインタビューでは、A子さんは当時は怖くて、なぜ両親や祖母が家にいないんだろうと頭が真っ白な状態が続いたといいます。
そして自分さえ居なければ、家族は生きていたのではないかと、自殺すら考えたそうです。
また、それでも踏みとどまったのは、愛してくれた両親達のためで、またそう思えるようになるまでは長く辛い日々だったといいます。
そして、
今、目の前に小暮容疑者が現れたら?
というスタッフの質問に対し、A子さんは、
何が何でも捕まえるし、正直言って殺してやりたいし。
悔しい気持ちっていうのは、ひとつも変わりはないので。
と心境を吐露していました。
また、この番組放送から約2年後となる2015年には、事件が起こった住宅は取り壊されているといった報道もありました。
参照:
ご遺族にとっては、大切な家族との思い出の詰まった家をこのような形で失うのは本意ではなかったことでしょうね。
といったように、現在もご遺族の心の傷は癒えることはないようですし、小暮容疑者が裁きを受けることや事件の風化防止を心から願われているようです。
終わりに
事件から21年が経った現在も、未解決のままとなっており、被害者のご遺族の心に苦しみを残し続けている「群馬一家3人殺害事件」について、その概要や小暮洋史容疑者の情報などをお伝えさせて頂きました。
既に事件発生から長い年月が経過していることや、小暮容疑者が死亡している可能性があることなどから、真相解明は容易ではないと思われますが、全国の国民の目撃情報などが積み重なって、解決の糸口が見つかることを切に願います。
そして被害者とそのご遺族の心が少しでも癒され、今後は同様の悲劇の起こることのない世の中になっていってほしいなと思います。