昨年5月に肝臓がんが発覚して以来、通院治療などを行われていた歌手のムッシュかまやつさんが、3月1日の午後6時過ぎに、すいガンのためお亡くなりになられました。
昨年の12月には堺正章さん(70)の70歳記念ライブに飛び入り参加するなど、元気な姿を見せていたムッシュさんだけに、突然の訃報は残念ですが、ムッシュさんが昭和をはじめ現在まで、日本の音楽シーンに残した影響はとても大きかったと思います。
という事で今回は、そんな音楽と生涯を共にしたと言っても過言ではない、ムッシュさんの数々のエピソードや、あまり知られていない、実は優秀な家系図などを振り返ってみたいと思います。
目次
ムッシュかまやつの生い立ちや経歴
まずはムッシュかまやつさんの生い立ちや、簡単なプロフィールをご紹介したいと思います。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 10, 2020
ムッシュかまやつ /かまやつ ひろし
本名 釜萢 弘(かまやつひろし)
出身地 東京府
生誕 1939年1月12日
死没 2017年3月1日(満78歳没)
血液型 B型
学歴 青山学院高等部、青山学院大学
ジャンル フォーク、ロック、グループ・サウンズなど
職業 歌手、作曲家、ギタリスト、DJ
共同作業者 ザ・スパイダース、吉田拓郎など
ムッシュさんは1939年、当時の東京府に生まれました。
父親は、日本ジャズ界の草分け的存在であるジャズシンガーのティーブ・釜萢(かまやつ)さんで、幼少期よりムッシュさんもその影響を受け、音楽に親しんでこられました。
青山学院高等部時代にカントリー&ウェスタン歌手としてデビューし、その後はミッキー・カーチス氏らと共にロカビリーや歌謡曲などもこなされます。
またロカビリー歌手時代の映画出演の際の東宝や日活の撮影所での交流などで、時代に名を残すスター達と出会われたりもしました。
その後、堺正章さんらもメンバーとして活動していたグループ・サウンズのバンド「ザ・スパイダース」にゲストボーカルとして参加した後、正式メンバーとしてボーカル&リズムギターを担当。
ザ・スパイダースの音楽的なアイディアマンとして、グループの中心人物となりました。
1970年以降はソロ活動も開始し、テレビドラマや映画などの映像作品にも出演。
また「One Night Stand Brothers」や「ウォッカコリンズ」、「ソン・フィルトル」など、多くのバンド活動もされてきました。
晩年にも、多数の音楽番組やCMに出演され、常に音楽界の時代の波に乗りながら、あらゆるジャンルの若手ミュージシャンとも積極的に共演し、世代もジャンルも超えた多くの日本人ミュージシャン達から大きな尊敬を受けながら、ムッシュさん自身も最後まで現役のミュージシャンとして活躍されてきました。
とてもムッシュさんの残されてきた経歴をこの記事に書き尽くす事は出来ませんが、生まれた時から天国に旅立たれる日まで、本当に音楽やその関係者の人たちに、愛された生涯だったのではないかと思われますね。
ムッシュかまやつの家族や親戚は?
またムッシュさんの父親は、日本にジャズを初めて紹介した方とも言われる、日系アメリカ人2世のティーブ・釜萢さんだというのは、既にご紹介しましたが、実はその他にもムッシュさんと血縁関係のある方達は、とても優秀な方達が多くいらっしゃいます。
まずムッシュさんの母方の叔母にあたる方が、ジャズシンガーの浅田陽子さん。
そしてその浅田さんの夫であり、ムッシュさんにとって義理の叔父にあたる方が、ジャズ・トランペッターの森山久さん。
さらにそのお二人の子供であり、ムッシュさんにとっては従妹にあたるのが、フォーク歌手の森山良子さん。
そして森山良子さんの娘が、ムッシュさんにとって従姪にあたる、元歌手の森山奈歩さん(おぎやはぎの小木博明さんの妻)。
さらに、シンガーソングライターの森山直太朗さんは従甥にあたります!
そして、ムッシュさんの長男であるTAROかまやつさんもミュージシャンで、シンガーソングライターという事で、まさに音楽一族といっても過言ではないくらいの豪華な家系となっています^^
ムッシュかまやつの伝説エピソード
それではムッシュさんのこれまで残された数々のエピソードを、幾つかご紹介したいと思います。
遅刻魔で、CDジャケットに姿映らず、堺正章を騙す
「ザ・スパイダース」時代より、遅刻魔として有名なムッシュさんは、デビューシングル『フリフリ』のジャケットには撮影に遅刻したため、その姿は写っていないそうです。
また堺正章さんは「ある時かまやつの遅刻に気付いてアパートに電話をかけたところ、出た相手に『かまやつさんは出発しました』と言われたが、電話を切った後でその相手こそがかまやつだったと気付いた」というエピソードを語っているなど、ある意味ではミュージシャンらしい(?)自由なライフスタイルだったようですね^^;
髪型や帽子が個性的
またムッシュさんと言えば、トップが短くて、サイドが長い独特のウルフカットのような髪型が個性的でしたよね。
さらにエルメスのニット帽も特徴的で、まさに唯一無二と言えるようなヴィジュアルの持ち主でした。
若い頃はファッションリーダー的な存在でもあったムッシュさんですので、音楽同様、強い拘りがあったんでしょうね^^
還暦祝いのパーティーで、泉谷しげると吉田拓郎が殴り合いのケンカをし、森山良子がブチ切れ!
ムッシュさんの還暦祝いのパーティーで、泉谷しげるさんと吉田拓郎さんが殴り合いのケンカをはじめたそうで、ムッシュさんがその様子を見ていると、ムッシュさんの従妹である、普段は温厚な森山良子さんが「あんたら、喧嘩するなら外へ行きなさい!」とブチ切れたそうです。
さらに翌日には、松任谷由実さんから「良い思い出になったねえ」と電話がかかってきたそうで、なかなか豪華な顔ぶれのエピソードですが、ケンカを仲裁せずに見ていたというムッシュさんがまたシュールですよね^^;
ベルリンの壁の崩壊時にその場にいて、壁の上で「バンバンバン」を歌った
さらにムッシュさんはある意味では強運の持ち主のようで、ベルリンの壁が崩壊した際、偶然ベルリンに居て、壁の上で「バンバンバン」(ムッシュさんの代表曲)を歌ったそうです^^;
またキューバ危機の際にも、ワイキキで箱バン(ハコ{ライブハウスなどのお店}の専属バンド)をされていたと言われています。
コードやギターが天才的
そしてムッシュさんの本業である音楽に関しても、やはり多くのミュージシャンの方々から尊敬されているようで、そのギターテクニックや、コードの使い方が独創的だと言われています。
これまた偉大なギタリストであるCharさんに「そこでそう行くんだ!」と言わしめたり、吉田拓郎さんに「変なコードを弾く」と形容されたり、ムッシュさんのコード感というのは、理論ではなく、響きを重要視したものと言われ、それがとても魅力的だと言われているのですから、やはり才能だったんでしょうね^^
さまざまなジャンル、年代のアーティストと共演
普通、似たようなジャンルのアーティストや、世代の近いアーティストが、コラボや共演される事はありますが、ムッシュさんほど幅広い年代のアーティストにリスペクトされ、また様々なジャンルを取り入れ、ユニークな作品を生んだ方も珍しいのではないでしょうか?
とある番組で、「ボクは、君たち(若い)世代と話が出来なくなったらおしまい」と言っていたように、常に音楽界の時代の波に乗りながら、あらゆるジャンルの若手ミュージシャンとも積極的に共演されてきました。
2009年には井上順さん、今井美樹さん、甲斐名都さん、堺正章さん、THE ALFEEさん、TAROかまやつさん、トータス松本さん、秦基博さん、一青窈さん、布袋寅泰さん、Microさん、森山直太朗さん、森山良子さんなどのゲスト・ミュージシャンとのコラボしたアニバーサリー・アルバム「1939~MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」を発表されるなど、幅広い年代やジャンルのアーティストと共演されていました。
そしてムッシュさんが晩年活動していたバンド「LIFE IS GROOVE」では、なんと年齢差60歳の山岸竜之介さんと共に活動されるなど、年代やジャンルの垣根を超えた、まさに自由な音楽活動をされていた方だったと思います。
まとめ
という事で、残念ながら、すいガンのため、旅立ってしまったムッシュかまやつさんの経歴や生涯を、幾つかのエピソードを交えながらご紹介させていただきました。
これまでにムッシュさんが残された音楽やその姿勢は、これから歳月が流れても、多くのミュージシャンによってカバーされ、また視聴者に親しまれ続け、多くの方々の胸の中で生き続けていくものと思われます。
ムッシュさんのご冥福をお祈りすると共に、これまでのご活躍を讃え、名曲達に感謝したいと思います。