タレントの松本伊代さん(51)と早見優さん(50)の、線路内無許可立ち入り問題は、記憶に新しいですが、こうした行動は電車との衝突事故や、脱線事故などを引き起こす可能性もあり危険ですよね。
そんな一歩間違えれば、大惨事を起こしかねない電車ですが、日本でも世界でもこれまでに、鉄道による事故は、数多く起こってきました。
そして2月15日放送のTBS系「水トク!世界衝撃映像100連発」の中でも、放送されるようですが、1989年、アメリカのカリフォルニア州サンバーナーディーノでも、そんな鉄道による大事故が起こりました。
さらにこの事故の特徴としては、脱線事故のみならず、その後に更に、もうひとつのある事故が巻き起こる事になるのでした。
今回はそんなサンバーナーディーノ列車脱線事故(ダフィー・ストリート列車事故)の、詳細や原因などについて見ていきたいと思います。
目次
サンバーナーディーノ列車脱線事故(ダフィー・ストリート列車事故)とは? 2つの事故の概要
それではこの事故の詳細や原因を見ていく前に、簡単に事故の概要についてご説明したいと思います。
サンバーナーディーノ列車脱線事故(ダフィー・ストリート列車事故としても知られている)とは、1989年5月にアメリカのカリフォルニア州サンバーナーディーノという場所で起こった、関連した2つの別々の事故の総称で、厳密には近い期間にそれぞれ2つの事故が起こりました。
ひとつ目は、1989年5月12日にアメリカ合衆国のカリフォルニア州サンバーナーディーノで発生した列車脱線事故であり、ふたつ目は、引き続いて同年5月25日に発生した、事故復旧作業にあたっていた重機による石油パイプラインの損傷火災事故です。
つまり、サンバーナーディーノで発生した列車脱線事故が、後日、石油パイプラインの損傷火災事故を引き起こしてしまったのですが、この2つの事故の詳細や関係性については、次章以降でひとつずつ説明していきたいと思います。
サンバーナーディーノ列車(ダフィー・ストリート列車)の脱線
1989年5月12日午前7時36分、カホン峠を下ってきたサザン・パシフィック鉄道の貨物列車(機関車6両+貨車等69両)が脱線し、さらに「ダフィー・ストリート」と呼ばれる住宅地に突っ込みました。
事故現場はカホン川低地帯とフットヒル・フリーウェイ(ルート210)の交差部のちょうど北東部にあたるようです。
そしてこの事故により、先頭列車の本務機関車・第1ユニット乗務の車掌と同第3ユニット乗務の制動手、および沿線住民の2名が亡くなられました。
さらに、列車は全ての車両が損壊し、沿線の住宅7棟が倒壊しました。
脱線した場所が住宅地付近だった事も残念ですが、それにしても列車が全て壊れ、住宅も倒していったという事ですから、事故の衝撃は相当なものだったのでしょう。
この事故の原因については、次章で説明いたします。
サンバーナーディーノ(カリフォルニア)列車脱線事故の原因・理由
この列車が脱線した理由は、モハベ駅の係員が列車重量の計算を間違えたことに加え、機関士および乗務員らが、誰も後部補機(*)の発電ブレーキが故障していることに気づかずに、制動力が不足したままの状態で下り勾配にさしかかったため、加速を止められずに列車が暴走したことが原因でした。
(*)補機=補助機関車(ほじょきかんしゃ)の略。列車の運転の補助のために連結される機関車のこと。
*画像はイメージです。
下り勾配で速度が落ちないことから、機関士がブレーキが効いていないことに気づいて非常ブレーキを必死にかけたという事ですが、実はこの非常ブレーキ操作によって自動的に発電ブレーキが解除される事になり、かえって列車は速度を上げる結果を招きます。
そして、列車はダフィー・ストリート手前のカーブで時速約177キロまで加速し、カーブを曲がりきれずに先頭部の機関車(本務機)および何両もの貨車が沿線の住宅に脱線・衝突したのでした。
因みに、サンバーナーディーノを通過する列車の速度制限は時速56キロだったと言われていますから、およそ3倍ものスピードに達していた事になりますね。
このような状況では、脱線や衝突も不可避だったと思われます。
機関車から回収されたブラックボックスの解析により、先頭部の第3機関車ユニットについては、発電ブレーキが故障しており、全く効かない状態であったこと、また、複数機関車からなる後部補機を運転していた機関士が、それら機関車のブレーキに異常があったにもかかわらず、本務機に対してその報告を怠っていたことが事故後に発覚しました。
この列車事故は上記のように、重量計算ミス、および乗務員同士のコミュニケーション不足、ブレーキ装置の不良といった複数の要因が重なって、列車の暴走・脱線、そして住宅地に衝突という、最悪の事態を生んでしまったのでした。
石油パイプラインの破裂と出火
そしてこの列車事故現場には、線路用地に沿って地下約1.83メートルに、14インチ高圧石油輸送パイプラインが敷設されていました。
なんとこの石油パイプラインが、サンバーナーディーノ脱線事故の復旧作業にあたっていた重機によって損傷。
脱線事故から13日後の1989年5月22日午前8時05分に破裂し、石油が付近一帯に噴出してしまいました。
さらに石油は引火して大火災となり、これにより2人が死亡し、11棟以上もの住宅が焼失するという大事故を生み出してしまうのでした。
感想・まとめ
上記のような理由と経緯から、この2つの恐ろしい事故は発生してしまった訳ですが、両方の事故に共通して言えるのは、やはりあと少し慎重に行動していれば、事故発生を防げたのではないかという事ではないでしょうか。
列車の脱線については、ブレーキの不調を事前に申告していれば、あるいは重量の計算を何度もチェックしていれば、列車が暴走する事態にはならなかったでしょう。
パイプラインの火災についても、当然地下にパイプが通っていることは分かっていた訳ですし、その情報が作業員全員に共有されていれば、安易に重機で損傷させる事もなかったのです。
事故というのは多くの場合、人為的なミスが生み出しているんだという事を感じましたし、不測の事態に備え、対応をしていれば防げる事故もあるはずだと思います。
過去の悲劇を教訓に、今後に繋げていかなければいけないのかなと感じさせられました。