俳優の砂川啓介(さがわけいすけ)さんが、7月11日に亡くなっていた事が発表されました。
砂川さんと言えば、ドラえもんの声優を務めた大山のぶ代(おおやまのぶよ)さんの旦那さんとしても有名な方でしたが、近年では妻の大山さんが「認知症」を患い、その介護に当たるなど大変な思いもされていたようです。
ニュースサイトの報道によると、
NHK「おかあさんといっしょ」の初代「体操のおにいさん」などで親しまれた俳優で、声優大山のぶ代さんの夫の砂川啓介さんが11日、尿管がんのため死去した。
引用:日刊スポーツ
との事で、砂川さんの死因は昨年から患っていた「尿管がん」が原因だったようです。
この記事では、砂川さんの闘病の様子や大山さんとの近況などについて、探ってみたいと思います。
目次
砂川啓介(さがわけいすけ)さんのプロフィール
それではまずは簡単に、砂川さんのプロフィールの方を掲載しておきたいと思います。
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砂川 啓介(さがわ けいすけ)
本名 山下 啓一(やました けいいち)
生年月日 1937年2月12日(満80歳没)
出身地 東京都
職業 俳優、タレント
活動 テレビドラマ、バラエティ、講演など
活動期間 1961年?-?2017年
配偶者 大山のぶ代
- 1961年、NHK『うたのえほん』の初代”たいそうのおにいさん”としてブレイク。
- 1964年、番組共演が縁で大山のぶ代さんと結婚。
- 1980年から6年間、「お昼のワイドショー」(日本テレビ系列)で司会を務める。
- 2001年、『カミさんはドラえもん』(双葉社)を出し、妻・のぶ代さんのガン闘病経験を明らかにし、反響を呼ぶ。
- 2015年5月15日、妻・のぶ代さんの認知症の件で東京都内で記者会見を行う。
(参照:wikipedia)
砂川啓介さんは尿管がんで闘病中だった 過去には胃がんも
砂川さんは、2013年に初期の胃がんが発覚し、切除していました。
砂川さんの胃がんは、2013年2月に定期検診で人間ドックを受けた際に発見されたそうです。
初期だったため医師から切除を勧められ、同年3月下旬に約7時間に及ぶ手術を受けられました。
当時、既に物忘れなど認知症の症状が出ていたという妻・大山さんでしたが、この時は砂川さんの胃がんを認識し、長時間の手術にも付き添い、翌4月下旬に退院するまで毎日、病院へ見舞いに訪れていたと言います。
砂川さんの病状はその後は回復し、仕事などにも復帰していたようですが、2016年4月には新たに尿官がんの診断を受ける事になります。
砂川さんは、尿官がんの発覚後は抗がん剤治療を受け、入退院を繰り返しながら断続的に治療をしていたそうですが、2017年の7月11日、残念ながらお亡くなりになられました。
砂川啓介さんの尿管がん発覚で大山のぶ代さんは老人ホームへ それでも奇跡を信じて闘病中だった
また、砂川さんの妻である大山のぶ代さんは、2012年秋頃から認知症との診断を受け、砂川さんがこの事を発表したのは2015年の5月の事でした。
大山さんは2008年に脳梗塞で入院し、記憶障害などの後遺症もあったことから、正確な認知症発症時期ははっきりしないようですが、この発表は当時、大きな話題となっていたようです。
当初は、砂川さんは妻の大山さんを在宅介護されていましたが、自身も尿官がんを発症した事で闘病生活を余儀なくされ、2016年4月より妻・大山さんを老人ホームへ入所させていました。
そうした最中にも大山さんの認知症は進行していたそうで、2017年に入ってからは、
「夫婦の対面は30分が限度かな。
彼女がホームに帰って、マネージャーが『今日は久しぶりにご主人に会えてよかったですね』と言っても、『えっ?』って言って、まったく覚えていないんですよ……」
と、語っていたようです。
そんな夫婦生活や介護生活に、砂川さんは正直寂しい思いや辛い思いもされていたようですが、
「(妻・大山さんが)認知症の新薬ができて記憶を取り戻し、2人で作り上げてきた“心のアルバム”を思い出してくれると信じています。
そのためにも、僕ができるだけ長生きして、彼女との人生をまっとうしたいと思っています」
と、希望を持ち続けていて、
「僕は、生き続けなければいけませんからね。
彼女のためにも。僕が先には逝けないですから」
と、妻・大山さんに付き添うために、必死にがんの治療に当たられていた事が伺えます。
終わりに
芸能界の中でも、有名な「おしどり夫婦」として知られていた砂川さんと大山さん。
それだけに、今回の砂川さんの訃報は多くの方々から悲しみの声が寄せられているようです。
また、残された認知症を患う大山さんの今後を心配する意見も見受けられます。
砂川さんにとっても、最愛の妻・大山さんを残して逝く事はさぞ心残りだった事と思われますが、今はただ、そのご冥福をお祈り申し上げます。
読者様のコメント
始めまして。
1961年4月3日~1969年10月1日までにNHK『うたのえほん』とその併合先になっていた『おかあさんといっしょ』の初代たいそうのおにいさんを務めた砂川啓介さんが生きていた頃、『元気に一、二』(※1)、阪田寛夫さん作詞の『地球をどんどん』、山本正之さん作詞の『パラランたいそう』等を作曲した越部信義さんが脳梗塞と肺炎の合併症のため、ちょうど81歳で亡くなってしまったケースも報告されていました。
1968年7月14日生まれで東京都新宿区出身の10代目たいそうのおにいさんの佐藤弘道さんは、18日にツイッターとアメーバブログで砂川啓介さんを追悼したそうです。
ちなみに、今年で横山だいすけさんが卒業とともに花田ゆういちろうさん(※2)と交代した後もまだ生きていた砂川啓介さんが亡くなった時間は午前4時10分、場所は東京都港区の病院でした。
実は彼はうたのお兄さんでもあったと思いますが、こちらこそご冥福をお祈りいたします。
※1:作詞:吉岡治、歌:ボーカル・ショップ。
1961年4月3日~1963年9月27日までは本人一人だけでしたが、同年10月2日~1967年3月29日には佐久間俊直さん、同年1967年4月6日~1969年9月26日には岡田祥造さんと二人で体操したそうです。
※2:越部信義さん、砂川啓介さん等と同じ東京都出身の12代目うたのおにいさん。
サイナイ様
ご返事が遅くなりまして、大変申し訳ありません…。
「LIFES!」管理人の、ユーヤと申します。
砂川さんの生前のご活動や、交流関係を詳細に教えて頂きまして、誠に有難う御座いました。
私は主に、近年の砂川さんの姿しか存じ上げていませんでしたが、子供達を中心に、多くの方々に、歌や体操でも親しまれていたようですね。
そんな砂川さんの活動は、その後の「うたのおにいさん」や「たいそうのおにいさん」にも伝わっているようで、私の知らない砂川さんの素敵な一面が知れて、とても良かったと感じております^^
この度は、当ブログに貴重なご意見を頂きまして、誠に有難う御座いました。