私達の身の回りには、沢山のアレルギーを引き起こすものが潜んでいますが、皆さんはお悩みの事はありませんか?
2月22日放送の、日本テレビ系「ザ!世界仰天ニュース」では、アレルギー特集と題して、さまざまなアレルギーの衝撃映像が放送されるようです。
そんな中で、113年続いた老舗蕎麦屋、内神田の「満留賀(まるか)」の4代目店主だった竹本伸之(たけもとのぶゆき)さんが紹介されます。
竹本さんは、なんとそばアレルギーの持ち主で、皮肉にも蕎麦屋の店主として色々と苦労され、最終的には一時閉店されたようです。
今回はそんな竹本さんの経歴や、「満留賀」閉店までの経緯、また竹本さんも罹ったそばアレルギーについて、調べてみたいと思います。
目次
老舗蕎麦屋「満留賀(まるか)」の歴史と竹本伸之(たけもとのぶゆき)の経歴
今回ご紹介する「満留賀」は、千代田区の内神田に、1903(明治36)年に創業し、代々100年以上もの長い間、受け継がれてきました。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 10, 2020
もともと「満留賀」という蕎麦屋は、愛知県より単身上京してきた加藤豊造さんという方が、1900(明治33)年に現在の港区辺りに、「(加)三河屋」(まるかみかわや)として開店したのが、発祥と言われています。
その後「満留賀」は繁栄し、創始者が「満留賀」の店名を自由に使って良いとした事で、のれん分けを続け、現在300店舗以上を教えるに至りました。
そして内神田「満留賀」は、現存する最古の店と呼ばれていました。
そんな内神田「満留賀」の4代目店主は、竹本伸之(たけもとのぶゆき)さんという方で、113年続いた老舗蕎麦屋の一人息子として生まれました。
他に両親に子供が居ない事や、老舗の伝統もあった事から、竹本さんは4代目として店を継がれる事になったのですが、その後、竹本さんを恐ろしい症状が襲う事になるのでした。
竹本伸之のそばアレルギーと「満留賀」閉店までの経緯
上記のような経緯から、老舗蕎麦屋である内神田「満留賀」を継いで、営業されていた竹本さんでしたが、今から6~7年前から、身体に異常が起きてきたと言います。
この症状こそが竹本さんを襲った、そばアレルギーだったのです!
初めのうちは手が荒れだし、徐々に手や肌の痛みがひどくなっていきました。
しかし、兄弟の居ない竹本さんは、自分以外に跡継ぎとなる方がいません。
そして遂に竹本さんは、そばアレルギーと闘う事を決意され、マスクとゴーグル、さらに手袋をした状態で仕事に向き合う事にしました。
その結果…、
残念な事に、竹本さんの苦労とは裏腹に、アレルギー症状はさらに悪化、医師に診てもらったところ、「生命に危険が及ぶ可能性がある」と指摘されドクターストップ。
やむなく2016年6月24日に、「満留賀」はその暖簾(のれん)を降ろす事になりました。
そばアレルギーの症状は?
そんな竹本さんを襲ったそばアレルギーとは、そば粉に含まれる「そばアレルゲン」というたんぱく質が原因で、起こるアレルギーのことで、そばを食べる意外にも、そばの茹で汁を飲んだり、飛散したそば粉を吸い込んだりした場合も、発症するそうです。
<そばアレルギーの主な症状>
・皮膚症状: かゆみ、じんましん、湿疹など
・粘膜症状: 粘膜の充血(目、鼻、まぶた、のどなど)、くしゃみ、鼻汁、のどのかゆみなど
・消化器症状: 腹痛、吐き気、下痢、嘔吐など
・呼吸器症状 :咳、喘息など、ひどくなると呼吸
困難
・全身性症状: アナフィラキシーショック(意識障害、意識消失、血圧低下など)
その症状の中で特に危険なのが、「アナフィラキシーショック」と呼ばれる全身性症状で、、意識障害や急激な血圧低下などが起こり、早めに適切な処置を施さないと、命に危険が及ぶ可能性があります。
また、そばアレルギー発症の原因は、「そば粉に含まれているタンパク質」を体内に侵入した時に、異物と認識される事でアレルギー反応が出ます。
そしてこのアレルギーを、起こす人と起こさない人の違いは「体質」によると言われています。
竹本伸之の現在と「満留賀」営業再開の可能性は?
という事で、現在は残念ながら閉店してしまった内神田「満留賀」ですが、昨年の閉店時に店頭に張り出された説明によると、「一時閉店」という表現をされています。
恐らく何らかの形で、営業を再開したいという4代目店主・竹本さんの考えから、そのような言葉を選ばれたのだろうと思いますし、復活の可能性は十分に有り得るでしょう。
しかし、上述したように、そばアレルギーという病気は、体質によってはかなり激しい症状が現れますし、現に竹本さんは、「命の危険」を医師に宣告されているので、営業再開は簡単にはいかないでしょう。
新しい蕎麦の打ち手を弟子として育てるか、ご自分のお子さんなどに継がせるか、方法は無い事はないのでしょうが、いずれにしても長い時間が掛かると思われます。
それでも、どれだけ時間が掛かろうとも、例えご自分では蕎麦を打てなくても、竹本さんの情熱が消えない限り、いつかはその味を継ぐ方が生まれ、この先も100年、200年と「満留賀」は親しまれ続けていくかも知れません。
是非ともお体には気をつけて、将来、内神田の「満留賀」が復活する日が来たら良いなと思います^^