1月28日にフジテレビで放送される、日本放送文化大賞グランプリを受賞したドキュメンタリーの、「人生フルーツ」という作品をご存知でしょうか?
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
有名な建築家の津端修一さんと、その妻・英子さんの“人生のものがたり”を描いた作品なんですが、何故多くの方から評価されていて、またどんな内容の作品なんでしょうか。
今回は津端修一さんの経歴や生涯、そして奥さんの英子さんとの暮らしぶり、子供やお孫さんについてなど調べ、その理由を紐解いてみたいと思います。
津端修一の経歴や生涯
それではまずは津端さんの経歴や活動歴などをご紹介したいと思います。
津端 修一(つばた しゅういち)
生年月日 1925年1月3日- 2015年6月2日
出身地 愛知県岡崎市
職業 建築家、都市計画家
配偶者 英子
津端さんは残念ながら今からおよお2年前に、90歳でお亡くなりになられていますが、生前は建築家として、とても有名な方でした。
戦後最大の都市計画ともいわれた「高蔵寺ニュータウン」の基本設計をした人物で、日本住宅公団の創設期の中心メンバーとして、激動の戦後日本の“住宅”“団地”“ニュータウン”を作り続けてこられました。
そして自ら設計した高蔵寺の自宅に、完成当時から住み続けておよそ50年。
50年前に植えた小さな苗木は雑木林に成長し、畑には数々の野菜や果物が実るようになりました。
そこで津端さんは奥さんの英子さんと共に、自給自足の半農生活を送られるようになりました。
妻・英子との夫婦生活
現在は妻の英子さんだけになってしまったようですが、津端さんがご存命の時は、畑で収穫した作物を使って、夫のために自慢の手料理を作られてきたという英子さん。
ふたりが暮らす家は、平屋建ての杉の丸太小屋でした。
食事も仕事も睡眠も、すべてワンルームですごし、とても充実した生活を送っていたそうです。
都会の喧騒や時間に追われる日々ではなく、自分のペースで、自分の食べるものを栽培して収穫する。
一見地味にも見えますが、そこには私達が忘れがちな生きる事の基本的な喜びが満ち溢れているのかも知れませんね。
津端修一の死因
そんな津端さんの死因ですが、老衰のためと言われており、まさに天寿を全うされたのかなと思われます。
2015年の6月2日、津端さんは畑の草むしりをされた後、昼寝に行かれたまま起きて来られなかったという事です。
まさに眠るようにして、90年という人生の幕を閉じられた津端さん。
建築家としても人間としても、とても意義のある功績を残されたのではないかと思います。
津端修一の子供や家族について
また津端さんにはお子さんやお孫さんがいるようですが、具体的な情報は分かりませんでした。
津端さんの年齢を考えると、もうお孫さんも成人されている可能性が高いと思われます。
最期まで、妻・英子さんとひとつの部屋で穏やかに過ごされた津端さんの生活。
お二人で栽培した畑の果物のように、歳月を重ねる毎に実っていった二人の人生は、多くの方にとって理想に思えるのかも知れませんね。
人生の美しさを教えてくれた気がします^^