ビリーティプトン(ジャズ)は女性である事を生涯隠していた|経歴や私生活

ビリーティプトン(ジャズ)は女性である事を生涯隠していた|経歴や私生活

アメリカ出身のジャズミュージシャンで、実は女性でありながら、妻や子供達にさえ気付かれず、亡くなるまで何十年も男性として暮らしていたビリー・ティプトンさんという方がいました。

2月13日放送の日本テレビ系「世界まる見え!テレビ特捜部」でも紹介されるようですが、一体この方はなぜ、女性である事を隠し、男性として生きていたのでしょうか?

この記事では、そんなビリーティプトンさんの、生い立ちから男性として暮らすようになった経緯、また本当の性別の発覚などについて、探ってみたいと思います。

※本記事の内容は、日本語サイトの情報が乏しかったため、海外サイトの翻訳ページの情報を参照しています。

出来る限りの調査はしましたが、誤った情報が含まれている可能性もございますので、ご了承ください。

ビリーティプトンのプロフィールと生い立ち

それではまずは初めに、ビリーティプトンさんの基本的なプロフィールや生い立ちなどについて、ご紹介したいと思います。

ウィリアム・リー・ティプトン(William・Lee・Tipton)

出生名     ドロシー・ルシール・ティプトン

出身地     アメリカ・オクラホマ州オクラホマシティ

生年月日    1914年12月29日~1989年1月21日(享年74歳)

職業      ミュージシャン

ジャンル    ジャズ、スイング

楽器      ピアノ、サックス

活動期間    1936~1970年

参照:https://en.wikipedia.org/

ビリーティプトンさんはオクラホマ州オクラホマシティ出身で、ドロシー・ルシール・ティプトンという名前で生まれました。

父親は飛行士で、母親は主婦だったそうです。

両親は4歳の時に離婚し、ビリーさんはミズーリ州カンザスシティで叔母と一緒に暮らすように。

当時のカンザスシティには既に大きなジャズシーンがあり、優れた音楽の才能を持っていたビリーさんも影響され、学校でジャズ、ピアノ、サックスなどを学んだと言います。

18歳の時点で、ビリーさんはいくつかの地元のジャズクラブでオーディションを受けましたが、単に女性だという理由で雇われる事はなかったそうです。

そうした男女で職業に格差があった中、どうしてもジャズミュージシャンになりたかったビリーさんは驚きの方法を採用し、その決断が後の人生にも大きく影響することになりました。

男装してジャズミュージシャンとして成功 経緯や活動など

高校を卒業したビリーさんは1933年、いとこの助けを借りて、ドロシーティプトンからビリーティプトンになり、ジャズミュージシャンとして活動していくことになります。(「ビリー」は父親のニックネームでした。)

活動の初期には、ビリーさんが女性であると知る友人が多かったとしても、男性としてリストされた法的文書を得て、男性としての人生を生きる事を計画したそうです。

そして、ビリーさんは胸を包帯で縛り、髪を短く切って、スーツを着てオーディションを受けます。

その結果、ビリーさんは仕事を得たばかりでなく、すぐにミュージシャンとしても成功を掴みました。

初めの頃は、プライベートでは女性として暮らしていたというビリーさんですが、差別や判断なしにジャズを演奏し続けるために、男性の格好を続け、結局残りの人生を男性として生きることになりました。

↑の画像の人物は、どちらもビリーさんですが、左は女性(ドロシーさん)として暮らしていた時期、右は男性として活動していた時期の姿との事です。

wikipediaによると、ビリーさんの初期の仕事は1936年頃から始まり、幾つかのバンドで演奏をしていたそうです。

そして1950年代には、ビリーさんは小学校の友人やミュージシャン達と共に、自身のグループ「Billy Tipton Trio(ビリーティプトントリオ)」の活動を始め、地元で人気を得るように。

1956年には、カリフォルニア州サンタバーバラでのツアー中にスカウトされ、レコード会社と契約。

1957年には2枚のアルバムをリリースし、成功を収めたようです。

さらに1958年、同バンドはネバダ州リノでハウスバンドとしての地位を与えられ、4枚のアルバムの追加依頼もされましたが、ビリーさんはこれらの提案を拒否。

代わりにワシントン州スポケーンに移り、ここで生活や活動をするようになりました。

ビリーさんは名声を求めておらず、自由にジャズを演奏したいと思っていたそうですが、有名になることで、自分の本当の性別がバレることを恐れていたのでは?という意見もあるようです。

ビリーティプトンの私生活 結婚や子供など

男性としての社会的な立場を演じるためだったのか、それともレズビアンだったのかは、いくつかの議論があるようですが、ビリーさんには5回の結婚歴があり、その配偶者達は女性でした。

(このうちの少なくとも1人は、ビリーさんが女性であることを知っていたという説もあるようです。)

そして、最終的にはワシントン州スポケーンに落ち着き、1962年にキティという名前の元ストリッパーと結婚し、3人の養子を迎え、育てたそうです。

しかし、ビリーさんとキティさんは後に離婚。

原因はキティさんの激しい家庭内暴力などで、これに耐えかねた息子さん達が家を出ていきました。

そんな息子さん達を心配した父・ビリーさんは、息子さん達のために家を借り、一緒に暮らすようになったのだとか。

息子さん達の証言によると、ビリーさんはキャンプに連れていってくれたり、野球をしてくれたり、また母親の代わりに家事などもしてくれたそうです。

ビリーさんは胸を包帯で縛り続けていましたが、パートナーには交通事故で骨折した肋骨を支えるためだと説明していたそうです。

また、息子さん達もビリーさんの服を脱いだ姿は見た事がなかったと言います。

そして、ビリーさんと結婚した妻たちは一般的な異性愛者だったそうですが、ビリーさんが同性だったとは気づかなかったと言い、また3人の息子さん達も優しい父親であると疑わなかったそうです。

また、ビリーさんの友人の多くも、ビリーさんが男性であると信じ切っていたそうです。

死後に本当の性別が判明

そして1989年、ビリーさんが喫煙による気腫と考えられていたものが、出血性潰瘍であることが判明し、これが死を迎える原因となりました。

ビリーさんの息子さんが救急車を呼び、父親を蘇生させようとしてパジャマを緩めたところ、実は女性であったことが判明したのでした。

その後、ビリーさんは病院で亡くなったそうですが、検死官はこの事実を家族と確認。

この秘密を守るために、元妻のキティさんはビリーさんの身体を焼却するように手配しましたが、その後キティさんとその息子の一人が、メディアからの資金提供を受け、ビリーさんの本当の性別が公開されたのでした。

そして瞬く間に、全世界に知れ渡っていきました。

元妻・キティの死後に起きた、遺産トラブルの経緯

また、ビリーさんの最後の妻となったキティ・ティプトンさんが、2007年に73歳で亡くなった後には、30万ドル(約3200万円)相当の遺産を巡り、トラブルが巻き起こったと言います。

2月12日放送の「世界まる見え!テレビ特捜部」によると、ビリーさん一家はその死後、ビリーさんが女性だった事実を隠そうとした息子さん達と、情報を売って荒稼ぎしようとしたキティさんとの間に溝が出来たようです。

そんな経緯があったため、一家はビリーさんの死後にバラバラに引き裂かれ、さらにキティさんの死に際しても、息子さん達はその最期を看取ることも、遺産を相続しようと名乗り出る事もなかったのだそうです。

結局、残されたキティさんの30万ドルの財産は、裁判所の指示で3人の息子さん達に均等に分配されることに。

しかし弁護士費用などが差し引かれ、残ったのは3分の1で、1人あたり3万5000ドル(約380万円)ほどだったそうです。

ちなみに海外のサイトの情報には、キティさんは生きている最後の年には、痴呆に悩まされていたという情報も見受けられました。

終わりに

という事で、生涯の大半に渡って、世間のみならず、自身の家族にも徹底的に性別を偽り続けた、ジャズミュージシャン・ビリーティプトンさんの生涯や家族、性別発覚の経緯などについて、探ってみました。

ビリーさんの性的な価値観については、遺言などはなく、真相は不明な点も多いようですが、少なくともジャズへの熱意や、お子さんを思う気持ちは真実だったのではないでしょうか。

「世界まる見え!テレビ特捜部」では”偽りの家族”として紹介されていましたが、確かに法律的に見ればそうかも知れませんが、そうさせたのは当時の社会だったのかも知れませんし、その中身は紛れもない”家族”だったのではないかと感じました。

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