現在オシャレの発祥地として、そしてハイテクな経済都市として華やかなフランス・パリですが、その地下にはとても巨大で珍しい地下通路がある事をご存知でしょうか?
今から200年以上も前に作られたこの通路と墓地は、現在でもその全容が判明しきっていない部分があると言われていますが、一説では全長280kmとも300km以上ともいわれているようです。
今回はこの通路の詳細や、そこにある巨大墓地「カタコンブ・ド・パリ」の概要や誕生した理由について調べてみたいと思います。
目次
全長280Km”パリの地下通路”の正体 画像
まずは世界最大の「カタコンベ」のある、そのパリの地下通路について、その歴史と誕生の経緯をみていきたいと思います。
元々、「カタコンブ・ド・パリ」のあるこの通路は墓地のために作られた訳ではなく、パリの建築物に使用するために、地下に掘られたローマ時代から続く採石場でした。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
その場所はパリ市街地の地下およそ20m地点。
採掘が行われていた当時、その長さや何処に続いているのか、詳細を知る者はいなかったと言われています。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
そんなパリの地下採石場は、15世紀まで制限なく掘り続けられたため、一部は崩壊してしまっていて現在でも正確な地図がないようです。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
大体、東京から名古屋までの距離が約355kmといわれていますので、総延長とはいえ、約300kmに及ぶこの地下通路が、いかにスケールの大きなトンネルかわかりますね!
現在では、落書きが沢山あったり、入り口も多いのですが、多くはレンガなどで封鎖されているようです。
巨大地下通路内の”カタコンブ・ド・パリ”とは? 概要
それではそんな巨大地下通路の一部となっている、世界最大の地下墓地である「カタコンブ・ド・パリ」についても、詳細を見ていきたいと思います。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
そもそもその名の由来となっている”カタコンベ”という単語の意味は、イタリア語で「地下の墓所」を指します。
別名”スカル・チャーチ(骸骨寺院)”とも呼ばれる、このような納骨堂は、ヨーロッパ全土で見られ、多くは14~15世紀頃から作られ始めたそうです。
そしてその中でも世界最大と言われるパリの「カタコンブ・ド・パリ」には、約600万体の遺骨が置かれていて、その全長は1.7kmにも及ぶと言われています。
現在どの遺骨が誰のものか身元の判別は不可能なようですが、その中には歴史的に有名なモンテスキューや、パスカルなどといった方達の遺骨も眠っているとされています。
地下墓地「カタコンブ・ド・パリ」が作られた経緯・理由
それでは元々は採石場だったこの地下通路が何故、納骨堂になったのでしょうか。
簡単に説明すると、当時のパリの衛生的問題や土地の不足などがその背景にあるようです。
パリでは古くから市内のキリスト教会の敷地に墓地が作られ、都市の過密化とともに収容限界を超えた墓地問題が浮上。
その中でも貧民層のために作られたサン・イノサン墓地は、5世紀頃から膨大な死体を埋蔵し続け、18世紀にはその盛り土が道路よりも2メートルも高くなったほどで、もはや土壌は遺体を分解できず、近隣の井戸も不衛生な状態となる危険が高まっていたのです。
またパリ市民による墓地へのゴミの投棄も事態を悪化させ、疫病の蔓延なども招いていたといいます。
こういった衛生面の問題と、都市の過密化による土地不足の解消が、「カタコンブ・ド・パリ」誕生の主な理由だったのです。
地下墓地カタコンブ・ド・パリの現在
18世紀後半に一般公開され、19世紀初頭から地下墓地は小規模な観光名所となった「カタコンブ・ド・パリ」ですが、昨今は内部を荒らされる被害が相次いだため、2009年9月に一般公開が中止されましたが、同年の12月より再公開されています。
200人の入場制限のため入り口には数百人の行列が作られることもあり、数時間待ちの状態になる事もある人気のスポットとなっているようです。
遺骨が語りかけてくるように感じる人もいるようで、オカルト好きの方や、心霊スポットとしても注目されている場所になっています。
まとめ
という事でパリにある巨大地下トンネルと、その一部である「カタコンブ・ド・パリ」について調べてみました。
600万体という数の遺骨が並ぶ様はある意味荘厳ですし、不思議な気分にもなりますが、人類の歴史や存在意義など、深く感じさせてくれる光景ではないかと感じました。
今後パリを訪れる方は、実際に立ち寄ってその雰囲気を肌で感じてみてはいかがでしょうか^^