1994年に第80代総理大臣を務めた羽田孜(はたつとむ)さんが、8月28日午前7時過ぎ、老衰のため都内の自宅で死去されたというニュースが入ってきました。
近年では、羽田さんは政治家を引退されていたようですが、かつてより病気を患っており、政治家活動の末期には、痴呆症などの症状も疑われていたようです。
この記事では速報ベースで、そんな羽田さんの病気や、率先して取り入れていた「半袖スーツ」などについて、探ってみたいと思います。
目次
羽田孜(はたつとむ)のプロフィール・経歴
第80代内閣総理大臣 羽田孜 (51人目)
新生党 東京都 58歳
1994年4月28日-1994年6月30日(64日) https://t.co/atUwmYUoA3 pic.twitter.com/AfZaSoLxmg— 歴代内閣総理大臣BOT (@pmoJ_bot) March 31, 2019
羽田 孜(はた つとむ)
生没年月日 1935年8月24日~2017年8月28日(享年82歳)
出身地 ??東京府東京市蒲田区(現東京都大田区)
出身校 成城学園高等学校、成城大学経済学部
所属政党 (自由民主党→新生党→新進党→太陽党→民政党→)民主党
活動 衆議院議員(当選回数・14回、在任期間・1969年12月28日~2012年11月16日)
配偶者 羽田綏子
子供 羽田雄一郎
<備考>
- 第80代内閣総理大臣(1994年4月28日?-?1994年6月30日)
- 農林水産大臣(第9代、第12代)、大蔵大臣(第88代)、外務大臣(第121代)
など。
(情報参照元:wikipedia)
羽田孜(はたつとむ)元首相は脳梗塞で倒れていた?
羽田さんの病気についてネット上で調べていると、どうも過去に脳梗塞を起こしていて、以降は歩行が小幅になっていたり、しゃべり方がどもったり、また国会で居眠りするなど、その体調を心配する声が囁かれていたようです。
あくまでも噂として広まっていたようですが、調べてみると、羽田さんが脳梗塞になっていた事を記す報道が幾つか見受けられました。
ー前略ー
その後は、脳血栓の後遺症に悩まされながらも議員生活を続けた。
引用:NEWSポストセブン
羽田氏は政界引退後、多発性脳梗塞で闘病していた。
引用:産経新聞
という事で羽田さんは、やはり脳梗塞を起こしていたのは間違いないようですし、ネット上の情報では2000年代中頃には既に、そのような噂が浮上していましたので、おそらく今から10数年前には病気が発症していたのではないかと思われますね。
ろれつがおかしい。脳梗塞の典型的な後遺症に見えなくもない。
引用:2007年6月のヤフー知恵袋より
もう5~6年前からこんな感じです。
病気も報じられていないので政争に疲れて枯れた感じです。
引用:2007年6月のヤフー知恵袋より
羽田孜の地元の者ですが、完全に脳をやっちゃってます。
公には報道されてませんが、数年前に倒れてます。
喋る事もままならない状態です。
それでも国会に出てるとは…
引用:2011年11月のヤフー知恵袋より
など、他多数の意見が見受けられました。
羽田孜元首相は近年は痴呆症の症状が見られた? アルツハイマーとの噂もあった
そんな羽田さんですが、政治家引退を表明した時の動画が以下になります。
今からおよそ7年前で、羽田さんが75歳頃のようですが、歩き方や話し方など、だいぶ衰弱された様子が覗えますね。
動画の途中では、総理大臣時代の姿も映っていますが、わずか15、6年でこれだけ変貌してしまうのは、後遺症の深刻さなどを表しているのかも知れません。
羽田さんは政治家活動末期には、国会でも上記のように眠りこける様子が見受けられたようで、ネット上などでは、こうした羽田さんの姿によってアルツハイマーや認知症なのでは?という噂があがっていたようです。
これに対する確かな報道は見当たりませんでしたが、脳梗塞を発症した方は、それに伴って脳血管性認知症(※)を引き起こしやすいと言われているようです。
上記のような理由から、あくまで推測ですが、羽田さんも同様の症状を発症していた可能性は考えられるかも知れませんね。
※脳血管性認知症…認知症の20~30%を占める病気です。脳梗塞や脳出血・くも膜下出血などの脳の血管の病気によって引き起こされます。(情報参照元:/info.ninchisho.net)
羽田孜元首相は「半袖スーツ」を着用し、「クール・ビズ」の先駆けとなった?
また羽田さんはいち早く環境問題を意識し、1979年に半袖スーツを着始めたと言われているようです。
引退を表明した羽田孜・元首相(77)。
羽田氏が、いち早く環境問題を意識し、半袖スーツを着始めたのは1979年のこと。
その後、四半世紀も遅れて日本が「クール・ビズ」に突入したことを思えば、羽田氏の先見の明と信念には恐れ入る。
1994年4月に首相となるも、わずか64日で辞任。
スーツの袖と並び、その任期の短さも有名だ。
引用:NEWSポストセブン
もし羽田さんが半袖スーツを着始めたのが、現代だったならば、その行動はもっと高く評価されていたかも知れませんね。
また、羽田さんはとても人柄の良い方だったそうで、性格が対極にあった政治家・小沢一郎さんと長く行動を共にしたとも言われています。
羽田氏は人が良く、人付き合いのバランス感覚に優れていた。
その対極にあったのが“戦う男”小沢氏だった。
2人は1969年の衆院選で初当選を果たした同期で、性格が両極端だったことから、羽田氏自身が『馬が合う』というように、長く行動を共にした。
小沢氏とすれば、人柄がよくてクリーンなイメージもある羽田氏は“旗印”としては据わりがいい。
羽田氏のほうも小沢氏を信頼していたので、自分が神輿になって、小沢氏が陰で実権を振るうことを良しとしたのだろう。
(中略)
40年余にわたる長い議員生活において、小沢氏とは支え、支えられる関係だった。
そして、2人の関係の最後まで根幹は変わることはなかった。
やはり、一本気な男である。
引用:NEWSポストセブン
やはり、短命に終わったと言えども、国家の首相になるほどの方ですから、その能力や理念は高いものをお持ちだったのでしょうね。
終わりに
という事で、羽田孜・元首相の逝去の速報に伴い、その近況や羽田さんが世間に残した「半袖スーツ」のエピソードについて探ってみました。
羽田さんは40年以上に渡って政治家として活躍されてこられたとの事ですが、人生のおよそ半分を政治に捧げた日々には、知られざる苦労などもあった事と思われます。
羽田孜・元首相のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。