世の中には次々と人気の商品が生まれてきますが、食品に関しても日々新しいものが開発されていますよね。
数年前から人気に火が付き出し、今では定番人気商品になったと言われている「塩パン」というパンですが、皆さんはご存知でしょうか?
今回はこの「塩パン」についてと、その生みの親といわれる愛媛県にありますパン屋さんの「パン・メゾン」社長・平田巳登志さんについて、調べてみたいと思います。
平田巳登志(ひらたみとし)のプロフィール
それではまずは、元祖”塩パン”の生みの親である、平田社長の経歴から見ていきたいと思います。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
平田巳登志(ひらたみとし)
年齢 61歳(2017年1月6日時点)
店舗住所 愛媛県八幡浜市
職業 パン・メゾン社長
平田さんは現在61歳ですが、以前は父と四国有数のパン業者「ハチキョーベーカリー」を営んでいました。
しかし大手のパン業者が四国に進出しだし、売り上げは減少。
やむなく父は他社との合併の道を選びましたが、「ハチキョー」の名前は残すと言う約束は反故(ほご)にされてしまいました。
これに反発した平田さんは41歳のとき、小さなパン店を開きます。
この店というのが、現在平田さんが社長を務める「パン・メゾン」の始まりとなりました。
しかし独立して店を開いた平田さんはお父さんに勘当されてしまいました。
そして翌年には、お父さんはガンで他界。
「店を大きくして、いつかはオヤジを社長にするから」
という言葉が最後の会話だったと言いますが、その時の平田さんの悲しみや無念さは想像出来ますね。
そういった人生の体験もまた、平田さんのパン製作のエネルギーになっているのかも知れません。
塩パンとパンメゾンの経緯とは?
「パン・メゾン」開店当初は、1日に10万円売るのがやっとだったといいます。
1年に100種類の新作を作ることをノルマとし、寝る間も惜しんで必死にパン作りに励まれました。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 13, 2020
そして開店から7年が過ぎた2004年、塩パンが誕生、3~4年かけて本格的に売れ出しました。
つまり平田さんの生み出した大ヒット商品の塩パンが売れ出すまで、そしてパン・メゾンが一躍有名になるまで、開店から10年ほどかかったようです。
しかし諦めずに作り続けた姿勢や、そこまでパンに懸ける情熱には頭が下がりますね!
塩パンの誕生や大人気の理由
では気になる塩パンの生まれた理由やきっかけですが、平田さん曰く、「暑さで食欲も落ちる夏でも、みんなに喜んで食べてもらえるパンを作りたい」と考えていた矢先、当時県外に修行に出ていた長男から「最近、フランスパンに塩をふったものが売れている」という話を聞いたそうです。
これをヒントに平田さんは、塩を使い、子供からお年寄りまで誰もが食べやすいソフトな食感のパンを作ることを考えつきました。
さらに理想の味と食感を求めて、バターを少しずつ増やし、ついには生地に練りこむのではなく、そのまま生地でバターをくるくる巻き込む方法を考え出したそうです。
生地の間に挟むバターの量は生地の約2割。
初めは多いと感じたという平田さんですが、焼いてみると、バターが溶け出して、真ん中にほどよい空洞ができ、パリっとした表面が際立つ形状に。
さらに鉄板にずらっと並べて焼くと、大量に溶け出したバターで、パンの底がカリカリとしたフライ状に。
パリッ、カリッ、中はモチッ。
贅沢に3つの食感が楽しめる焼き上がりに、「これはいける!」と平田さんのパン開発人生の中で最大の手ごたえを感じたと言います。
そしてその感覚は決して間違ってはおらず、この独特の食感と、辛すぎず甘ささえ感じる塩の味わいが口コミで人気を呼んだのでした。
平田さん曰く、美味しい塩パンを作る秘訣は「バターの量を2倍にしていい岩塩を使うこと」にあるのだそうです。
まとめ
という事で、今回は平田社長が開発した塩パンの誕生の経緯と、パン・メゾン開店の秘話などについてご紹介させていただきました。
この空前の大ヒット商品が生まれた背景には、何百と言う試行品の開発を重ねられてきた経緯があったからだと思いますし、やはりそれだけ平田さんの、パンに対する情熱や思い入れが強かったから出来た偉業なんでしょうね!
今後も更に新たなヒット作の開発に励んでいただきたいなと思いますし、機会があれば元祖の「パン・メゾン」の塩パンを味わってみたいなと思いました^^