1月3日の18時から放送の、TBS系「消えた天才 ~一流アスリートが勝てなかった人大追跡SP~」にて、大投手だった江川卓(えがわすぐる)さんから高校時代にホームランを放った”天才”が特集されます。
高校時代の江川さんは、公式戦44試合で打たれた本塁打は0、さらにはノーヒットノーランを9回達成するなど圧倒的な成績を記録し、「怪物」と呼ばれていました。
そんな江川さんから練習試合ではあるものの、「完全なホームラン」と呼ばれる一発を放った”天才”というのが、元プロ野球選手の石渕国博(いしぶちくにひろ)さんでした。
この記事では、石渕さんが江川さんから打ったホームランのエピソードやプロ入りの経緯、また現在の活動などについて、可能な範囲で探ってみたいと思います。
目次
江川卓(えがわすぐる)から高校時代、ホームランを打った天才は石淵国博だった
それではまずは初めに、石淵国博さんが江川卓さんからホームランを打ったエピソードについてご説明したいと思います。
江川さんは当時、栃木の作新学院で活躍していたのですが、wikipediaでは以下のように記されています。
高校在学中はエースとして、高めのバックスピンが良くかかった速球と良く曲がるカーブを武器にノーヒットノーラン9回、完全試合2回、選抜高等学校野球大会における大会通算最多奪三振記録などの数々の記録を残す。
その高校生離れした投球と耳の大きな顔が漫画『怪物くん』の主人公に似ていることから「怪物くん」「怪物江川」と呼ばれ、日本中の注目を浴びた。
引用:wikipedia
また公式戦での被本塁打も0という完璧な成績だったようですが、練習試合では、
- 1年生時・・・小宮山選手(丸子実)
- 2年生時・・・阿部選手(早実)
- 3年生時・・・石淵選手(宮崎実)←本記事の主役!
から計3本と、1973年に日本高校選抜の代表として韓国に遠征したときに、兪大成選手から1本打たれているようです。
(参照:ヤフー知恵袋)
一方の石淵国博さんの方は、宮崎実業の全国的には無名の一球児だったそうですが、その後の人生を左右する一発は、宮崎で行われた作新学院との練習試合で飛び出しました。
この時、江川さん見たさに5000人の観客が集まったそうですが、石淵さんはその目の前で、江川さんのストレートを引っ張り、見事に左翼席へ。
この1本のホームランで瞬く間に石渕さんの名前は全国区に知れ渡り、高校卒業後は広島からドラフト7位で指名されることになりました。
しかし、実は石淵さんは、広島から指名を受けた時には既に社会人野球に内定が決まっていたそうで、そのまま就職すれば、一般的な会社員の倍以上の給料と終身雇用が保証されていたと言います。
さらに当時の規定では、「一度プロ野球に入団した者は社会人野球でプレーできない」ことになっていたそうですが、それでも石淵さんは広島への入団を決意されたのでした。
石淵国博(いしぶちくにひろ)のプロフィール・経歴 プロ入りは果たしたものの、結果が出せず
続いては、そんな1本のホームランからプロ入りを果たした石淵国博さんのプロ野球界在籍時の成績などについて見ていきたいと思います。
石淵 国博(いしぶち くにひろ)
生年月日 1955年8月30日(62歳)
出身地 宮崎県
身長・体重 173㎝・76㎏
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1973年 ドラフト7位
経歴 宮崎実業高等学校→広島東洋カープ?(1974 – 1976)
参照:wikipedia
石淵さんの高校時代の通算打率は3割3分で、ホームランも3本放つなど(江川さんからの1本も含む)、優れた才能を持った選手だったようです。
しかし、プロ入り後は1軍での公式戦出場はなく、入団からわずか3年で引退となってしまいました。
ちなみに、石淵さんの現役当時の画像や情報なども探ってみましたが、ネット上にはハッキリとした顔写真はおろか、選手としての詳細な活動の情報なども、見つける事は出来ませんでした。
※追記※
「消えた天才」の放送内で、石淵さんの当時や現在の姿、また近況の一部などが公開されました。
同番組によって判明した情報については、次の段落下部に追記しています。
という事で、石淵さんの現役時代については不明な点も多いのですが、次の段落ではプロ野球を引退された後の活動について、分かる範囲でお伝えしたいと思います。
石淵国博(いしぶちくにひろ)の引退後や現在は?
石淵国博さんのプロ野球引退後については、テレビによる取材は一度も受けてこなかったそうで、引退後から現在までの暮らしぶりが報道された事はなかったようです。
実際にネット上で情報を調べていても、石渕さんの近況については具体的な情報は全く見当たりませんでした。
ただ、今回の「消えた天才」での特集に際して、放送前の時点で以下のような予告がされていました。
ー前略ー
怪物から放った、たった一本の本塁打によって翻弄された人生、プロ入りの決断に後悔はないのか。
プロ引退後、テレビによる取材は一度も受けてこなかったという石渕が3日放送のTBS「消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人大追跡」(後6・00)で、わずか3年でプロ野球生活を終えた理由と現在の思いを激白。
江川から放った本塁打を秘蔵映像とともに振り返る。
引用:スポニチ
(石淵国博さん) (ホームランが打てたのは)交通事故と一緒ですよ。
参照:「消えた天才」より
という事で、同番組の放送内で、これまで語られる事のなかった石淵さんの引退の理由や、その後の人生が明かされる事になりそうですね。
また、断定出来るほどの確たる証拠はないものの、ネットで石淵さんの情報を探ってみると、石淵さんは現在は地元にいらっしゃると推測される情報も僅かながら見受けられました。
さらに時期は不明なものの、プロ野球を引退されてからは建設業を営んでいたそうです。
1月3日放送の「消えた天才」の中で、もし石淵さん自身がその近況を公表された際には、追記・修正させて頂きたいと思います。
追記
石渕さんの現在の姿が、「消えた天才」の放送内で紹介されていました。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 2, 2019
石渕さんは、TBSの取材に対し、江川選手からホームランを打てた理由やプロ入りした過去についての思いなどを語られていました。
その内容についてご説明すると、当時、石渕さんが5番を務めていた宮崎実業と江川さんが在籍していた作新学院の練習試合では、作新学院は外野が全員、内野付近までの極端な前進守備をとっていたようで、石渕さんは「舐められてるな」と思ったと言います。
そして江川さんから放ったホームランについては、石淵さんはストレートに山を張って、狙っていたそうで、石渕さんは「振ったところに江川がボールを投げてくれた」「交通事故のようなもの」などと説明していました。
さらに、当時の石淵さんは、(高校卒業後、社会人野球で)川崎重工への就職を決めていたそうで、一般的なサラリーマンの倍の給料や終身雇用という良い条件まで提示されていたそうです。
しかし、江川さんから打ったホームランをきっかけに広島からドラフトで声がかかり、悩んだ末に川崎重工を断念してプロ入りを決めたと言います。
プロ入りを選択した理由について石渕さんは、「プロより上はない」「(同じ野球をやってきたのなら)プロの道で1回はやってみたい」と思ったと語っていました。
さらに、プロ野球で活躍が出来なかった事については、「とにかくプロとアマチュアの球は違う」と語り、「もう無理やろ」と感じ、およそ3年で引退という結果につながったようです。
またプロ入りを選択した判断については、「正しかったと思います」と答え、「若い時は少し、あの時こうだったら」などと考えた事もあったそうですが、「最後の野球でプロ野球に行かせてもらって、経験できた面の方が強い」という気持ちに変わり、現在は納得しているとの事です。
そして石渕さんは、TBSのインタビューの最後では、
江川がいたからこそ、俺はそれを打ったからこそ、そこまでの経験ができた。
(江川が)人生を変えてくれた人間かなぁとは思います。
と語っていました。
終わりに
という事で、プロ野球界の一線で活躍された大投手・江川卓さんから、高校時代に貴重なホームランを打った石淵国博さんについて、そのエピソードやプロ入り後の経歴などをご紹介させて頂きました。
結果として、その1本のホームランが石淵さんの人生を大きく左右する事になったようですが、その後は自分で道を判断しながら、前向きに人生を歩んでこられたようですね。
プロ野球界に限らず、華やかな舞台の陰には、思うような活躍を果たせなかった人達が沢山いるとは思いますが、結果よりも自分がそこから何を得たかという事が、大切なのかなと感じさせられました。