2017年の9月24日は、女優であった川島なお美(かわしまなおみ)さんが亡くなられてから、丸2年が経つ日だそうです。
川島さんと言えば、犬を飼っていたり、ワインが好きだったりというイメージが個人的にはありますが、最期はガンのために大変な闘病生活をされていたようです。
この記事では、そんな川島なお美さんのガンの経緯や闘病・最期の様子、また川島さんの死後に、旦那さんの鎧塚俊彦(よろいづかとしひこ)さんがされている活動や、現在の心境などについて、お伝えさせて頂きたいと思います。
川島なお美(かわしまなおみ)さんのプロフィール
それではまずは初めに、川島なお美さんの経歴について簡単にご説明させて頂きます。
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川島 なお美(かわしま なおみ)
本名 鎧塚 なお美
生年月日 1960年11月10日
没年月日 2015年9月24日(満54歳没)
出生地? ?愛知県守山市(現・名古屋市守山区)
死没地 東京都
血液型 AB型
身長 158cm
職業 女優、タレント、歌手
活動期間 1979年~2015年
配偶者 鎧塚俊彦(パティシエ)
<主な出演作>
- お笑いマンガ道場(バラエティ)
- 家なき子2(ドラマ)
- イグアナの娘(ドラマ)
- 失楽園(ドラマ)
(参照:wikipedia)
川島さんは愛知県出身の方で、同県の高校を卒業後、青山学院大学に進学され、在学中に芸能界デビュー。
女子大生タレントの先駆けとなりました。
1982年には、日本テレビ系バラエティ番組「お笑いマンガ道場」の三代目女性レギュラーとなり、プロ顔負けの漫画のうまさと芸人顔負けのネタの巧みさから、同世代からの知名度と人気を獲得しました。
1989年8月には川島さんが乗ったロケバスが崖から転落する事故に遭い、第七頸椎を骨折する大怪我を負って、予定されていた舞台公演を降板する出来事も起こりました。
キャンパス・クィーンのイメージが抜けず、出演番組が限られるなど不遇な時代も長かったようですが、「イグアナの娘」や「失楽園」への出演をきっかけに、女優としての知名度を獲得されていきました。
さらには30代にしてヘアー写真集を発表し、これが大ヒットを記録。
セクシー女優の代表格のように、認知されるようにもなりました。
プライベートではワインと犬と葉巻をこよなく愛し、愛犬家としても有名だったそうです。
そして2007年10月、パティシエ・鎧塚俊彦さんとの婚約を発表。
2009年2月1日に入籍。
結婚後はおしどり夫婦として、夫妻でテレビ出演をする事も
多かったようです。
しかし2013年8月、健康診断により腫瘍が見つかり、即手術を勧められるも拒否。
代替策としての抗がん剤治療も拒否されたそうです。
腫瘍は肝内胆管癌であることが判明し、その後、信頼出来る医師との出会いを果たされた川島さんは、2014年の1月末に腹腔鏡手術を受けられました。
その後、抗がん剤や放射線治療は受けず、ビタミンCの点滴や電磁波療法などの民間療法を受けていましたが、同年7月に癌が再発。
夫・鎧塚さんだけはこの際に余命1年未満の宣告を受けていましたが、川島さん自身は余命を知らされない状態で抗がん剤治療を拒否。
以降も代替医療に励みながら芸能活動を続けていましたが、最終的には初めの癌発覚からおよそ二年後の2015年9月24日19時55分に、胆管癌のため亡くなられました。
(本段落の情報参照元:wikipedia、http://ironna.jp、など)
川島なお美さんの死因は胆管がん 最期は腹水が溜まるも、命懸けで舞台に上がっていた
川島さんが患われた胆管癌は、予後の悪い癌と呼ばれているそうで、また進行も速く、発見からしばらく放置しておくと転移が進み、手術ができなくなるリスクが高まるそうです。
(参照:mainichi.jp)
川島さんの場合、健康診断で癌が発見された時は早期発見だったようですが、その後、手術まで半年近くの月日が経ってしまった事なども、癌が進行した要因と考えられているようです。
また川島さんについて情報を探ってみると、「腹水」という関連ワードが浮かんできます。
川島さんは民間療法を受けながら、最期まで女優として活動をされていたのですが、2015年の6月になると腹水が溜まり始めるという「がんの末期症状」が現れ、この時ばかりは川島さんも、
もうアタシ、ダメなのかな…
と弱音をこぼしていたと言います。
そして亡くなられた月である2015年9月の7日には、シャンパンのイベントに旦那さんと共に出席した川島さんでしたが、その激やせした姿にメディアや世間は騒然となったようです。
この頃の川島さんは、1日に5Lもの腹水が溜まるようになっていたそうで、抜いても翌日にはまた溜まる状態だったと言います。
当時の川島さんの38kgの体重のうち、5kgが腹水という凄絶な状態でした。
しかしそれでも川島さんは、腹水を抜き、解熱剤と点滴を打って、9月8日からの新舞台に上がられていたそうです。
その後、9月17日の長野公演開演直前、川島さんの身体はついに動かなくなります。
降板が決定すると、川島さんは悔しさから涙を流し続けたと言います。
肝臓でキレイにできない血液にアンモニアが残留し、それが脳を麻痺させました。
舞台の袖で女房は次の出番のセリフが分からなくなり、右往左往していたらしいのです。(夫・鎧塚さん)
川島さんの臨終の間際に、夫・鎧塚さんは不思議な光景を見たと言います。
一瞬頭を起こした川島さんは、手を握り、強いまなざしで鎧塚さんを見つめた後、大きな息をついて意識を失いました。
昏睡した時点で心肺も停止していたそうですが、鎧塚さんが川島さんの名前を叫び続けると、それに呼応するかのように2度大きく息をしたそうです。
これが、川島さんの生前の最期の様子だったと言われているようです。
(本段落の情報参照元:「女性セブン」2015年12月24日号、など)
川島なお美さんの死後、夫・鎧塚俊彦がした事
川島さんが永眠されてから、2017年の9月24日で丸2年が経つのですが、三回忌を迎えて夫・鎧塚さんがその胸中を「週刊女性」2017年10月3日号にて語っていたようです。
昨年の一周忌では、小田原の一夜城ヨロイヅカファームで「川島なお美慰愛碑除幕式」が行われたそうですが、川島さんは夫・鎧塚さんが経営するこの店を”私の夢”と言っていたそうです。
広大なガーデンを自分自身の「生まれ変わり」として育ててほしいという願いが、ノートに綴られていたと言います。
そして今年の命日には、鎧塚さんは都内のお墓にファンの方とお参りし、川島さんが好きだった蕎麦屋さんで思い出話をする予定だそうです。
そして、「川島なお美動物愛護基金」を設立されたそうで、その理由について鎧塚さんは「それが妻の夢でしたから」と語られていたようです。
「川島なお美賞」と「川島なお美動物愛護賞」を設け、動物殺処分反対運動で活躍している人を表彰するのだそうで、基金には川島さんが遺したお宝ワインが役立てられたと言います。
女房のワインを22本チャリティーオークションに出品して得た300万円に、僕の気持ちの200万円をプラスした500万円を提供しています。
ただ、女房の生まれ年’60年のロマネコンティは出せませんでした。
彼女が本当に大切にしていたものですから。
女房が喜んでくれると思えるときが来たら、友人たちと飲もうと思っています。
(川島さんの夫・鎧塚さん)
引用:「週刊女性」2017年10月3日号
昨年、今年と鎧塚さんは、生前の川島さんの願いをひとつずつ叶えられて来たようで、その心の中には今も川島さんが生きているようです。
また、現在51歳とまだまだお若い鎧塚さんという事で、週刊女性が再婚の可能性について思い切って尋ねると、
女房は”出来れば再婚はしないでね”と言っていましたからね…。
ずっと誰も好きにならずに、恋愛もせずにいるかどうかは正直わかりません。
でも、今は再婚というのはありえないですね。
引用:「週刊女性」2017年10月3日号
と答えられたそうです。
という事で、鎧塚さんは現在でも妻・川島さんを変わらず想い続けているようですし、きっと川島さんもそんな旦那さんの姿を天国から見守っていらっしゃるのではないでしょうか。
終わりに
まもなく川島なお美さんが亡くなられてから2年が経過するという事で、生前の闘病の経緯や亡くなられた後の夫・鎧塚さんの想いなどについて、簡単ではありますがお伝えさせて頂きました。
何かと世間を騒がせる事も多く、良くも悪くも最期まで「女優」を貫かれたと感じる川島さんですが、旦那さんとのエピソードなどを知ると、お二人の絆の美しさにとても心を動かされました。
これからも夫・鎧塚さんを通じて、生前の川島さんの夢が世の中に伝わっていく事を願っています。