突然ですが、驚くべき訃報が入ってきました。
元Jリーグ専務理事の木之本興三さんがうっ血性心不全のため今月15日午後3時38分、千葉大学医学部附属病院で死去したと発表されたのです。
木之本さんはJリーグの生みの親ともいうべき方で、その名前や存在をご存知の方も多いと思います。
お亡くなりになられた状況の詳細や、これまで日本サッカー界に残した功績について見ていきたいと思います。
木之本興三氏の死因のうっ血性心不全とは? 近況について
木之本さんの死因は、うっ血性心不全との事ですが、68歳とまだまだ亡くなられるにはお若い年齢でした。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 14, 2020
うっ血性心不全とは心不全のひとつで、主な症状は、呼吸困難だそうですが、高齢者の場合は全身のだるさや食欲の低下、便秘、活動の低下などといった一般的な症状だけが表に出ることが少ないそうです。
つまり息切れや呼吸困難の症状が高齢の方の場合は弱く、発見しにくいようですね。
木之本さんも70歳を目前にして、症状に気付きにくくなっていたのかも知れません。
しかしこの症状は突発的にでてくることは稀で、たいていの場合は数ヶ月から長いときは数年かけてゆっくりとでてくるようになるそうです。
木之本さんの最近の生活については、詳しく分かりませんが、もしかすると進行している症状の発見が遅れてしまい、今回、病院に運ばれるも手遅れになってしまったの可能性も考えられますね…。
詳細については調査して、追記したいと思います。
木之本興三氏の経歴や家族など その人生とは
木之本さんは千葉県出身で1949年生まれで、選手時代は古河電気工業サッカー部(現在のジェフユナイテッド市原・千葉)に在籍。
引退後は日本サッカーリーグ(JSL)事務局長、総務主事を務め、森健兒さんと共に、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)創生のほとんどを担われたそうです。
まさにこの方なくして現在のJリーグはなしという事ですね。
日本サッカー協会ではワールドカップ2002年大会に向けた強化推進本部副本部長を務め、本大会では日本代表団長となられました。
現在までも千葉大学と連携で教育課程普遍講座の講師を務めるなど、日本のサッカーの普及に尽力された人生だったんじゃないかと思われます。
奥さんやご家族の状況などについては、詳しい情報がネット上にあがっていませんでした。
よって木之本さんは独身であったのかも知れません。
もしそうだとしたら、木之本さんの人生は本当にサッカーのために捧げられたものだったと言えるのではないでしょうか。
感想
現在詳しい情報を調査中ですが、今回の木之本さんの訃報はJリーグ関係者やファンのみならず国民にとってもとても大きな出来事だと思います。
いまや子供にとってはサッカーは野球をしのぐ、国内No.1の人気スポーツですし、世界中で活躍する一流選手も多く誕生するなど、サッカーの普及はめまぐるしいものがありますよね!
本当に、日本のスポーツ史に大きな足跡を残された方といっても過言ではないと思いますし、その努力や苦労は相当なものだったでしょうね。
今は一つの時代を築かれた偉大な功労者の経歴を讃え、木之本さんのご冥福を心よりお祈りしたいと思います。