2004年のアテネ五輪で金メダルを獲得し、翌2005年には今も破られていない「日本記録・2時間19分12秒」を打ち立てたマラソン元日本代表の野口みずき(のぐちみずき)さん。
2016年に現役を引退するまでに、沢山の大会で活躍されてきた野口さんでしたが、北京五輪の際には怪我でまさかの5日前の出場辞退となり、当時、世間からは非難の声などを浴びせられたそうです。
そんな世間の反応を受けて、野口さんはなんと1ヶ月の間、失踪をされたそうなのですが、その経緯などについてはこれまで広く語られてきた事はなかったと言います。
という事でこの記事では、そんな野口さんの、
- プロフィール・経歴
- 北京五輪辞退後の失踪の真相
- 結婚と現在
といった話題について、探ってみたいと思います。
野口みずき(のぐちみずき)のプロフィール・経歴
それではまずは初めに、野口さんのプロフィールや現役時代の主な活動歴などをご説明したいと思います。
走った距離は自分を裏切らない。(野口みずき) pic.twitter.com/S5ZAQbmBi6
— アスリート名言 (@suportsmeigenn1) March 29, 2019
野口 みずき(のぐち みずき)
生年月日 1978年7月3日(39歳)
出身地 三重県
血液型 O型
身長・体重 150cm・40kg
学歴 伊勢市立厚生中学校、立宇治山田商業高等学校
活動 陸上競技(長距離走・マラソン)元選手
<主な成績>
- 2002年名古屋国際女子マラソン1位
- 2003年世界選手権パリ大会2位
- 2003年大阪国際女子マラソン1位
- 2004年アテネオリンピック1位
- 2005年ベルリンマラソン1位(日本記録、当時のアジア記録)
- 2007年東京国際女子マラソン1位
など。
野口さんは、三重県出身の現在39歳の元マラソン選手になります。
友人に誘われた事をきっかけに、中学時代より陸上部に所属した野口さんは、高校に進学すると3000mでインターハイに出場、駅伝などでも活躍を見せました。
高校を卒業後は、ワコール、グローバリー、シスメックスの順に所属。
当初はハーフマラソンで活躍し、その実力は「ハーフの女王」と呼ばれるほどだったそうです。
そんな野口さんでしたが、2000年7月の札幌国際ハーフマラソンで、高橋尚子さんと競り合い、後に高橋さんがシドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得した事に影響されて、「自分も高橋選手のようにオリンピックの女子マラソンで優勝したい」と思うようになったそうです。
そして初のフルマラソンとなった2002年の名古屋国際女子マラソンで見事優勝。
その後も、2003年の世界選手権パリ大会での銀メダル獲得、2004年のアテネオリンピック女子マラソンでの金メダル獲得など、輝かしい成績を収めました。
しかし野口は、アテネ五輪以降、ケガとの闘いに苦しむようになっていきます。
そしてアテネの次の五輪である北京五輪女子マラソンでは、出場予定だったにも関わらず、左足太股の肉離れによって大会開催の5日前に出場辞退を表明されました。
(この時のエピソードは次章でご説明いたします。)
野口さんは、その後も怪我に悩まされ、全盛期と同じような力を発揮出来ない日々が続き、ロンドン五輪出場なども目指されていたようですが、達成出来ませんでした。
さらにその後もリオ五輪出場を目指し、2016年3月に名古屋ウィメンズマラソンに出場しましたが、結果は奮わずリオ五輪女子マラソン日本代表選出は叶いませんでした。
そして、2016年4月に現役引退し、5月にはシスメックスを退社されました。
北京五輪辞退後と失踪の真相 北海道で五輪を見ていた?
そんな野口さんでしたが、前項で少し説明しました通り、北京五輪前に怪我をし、5日前に出場を辞退されました。
野口さんはこれに伴い、バッシングされ、非難のメールや手紙が殺到、「非国民」と呼ぶ人の声もあがったと言います。
その後、野口さんは1か月間、失踪し、人々の前から姿を消していたそうです。
この時、野口さんが何処に身を潜めていたのか、また何故、大事な五輪前に怪我を負ってしまったのか、あまり公には語られる事はなかったようです。
しかし、そんな騒動から9年の歳月が経ち、現在は上海に暮らす野口さんは、当時の事を以下のように語っています。
2個目の金メダルを取りたいという目標があったので、アテネ五輪よりもさらに強い脚力を鍛えようとして、脚のケガに至ってしまいました…。
今だから言えることですけど、極秘で北海道に身を潜めていました。
引用:exciteニュース
そして野口さんは、北京五輪を身を潜めていた北海道のホテルで見ていたそうです。
また、別の記事では以下のような野口さんのコメントも紹介されていました。
本来なら北京五輪へ出場するはずでしたが、故障で出場することができず申し訳ないと思っています。
私が五輪へ出られなくて不満に思う人もいると思うし、監督と広瀬さん(永和・コーチ)を批判する声も出ていましたが、二人は本当に最後まで私を守ってくれました。
故障の原因はやっぱり自分だったので……。
余裕を持ってやっていけばよかった時に、五輪を意識し過ぎて練習をやり過ぎてしまったんです。
ガンガン追い込んでしまったことで左足に疲労が集中して、それが結果的に故障へつながったんだと思います。
引用:Sports navi
欠場を決めた時は『悔しい!』と言うのが一番大きかったですね。
監督や広瀬さんも悔しかったと思うけど、二人の判断は正しかったと、今になって痛感しています。
ストップをかけてもらったことは、選手生命という面から見てもよかったと思います。
引用:Sports navi
欠場発表の直前、野口さんと廣瀬コーチは寮を脱出し、京都市内のホテルに1泊したあと、身を隠すために北海道の別海に向かったそうです。
廣瀬コーチはTシャツ、短パン、サンダル姿で飛行機に乗り、まるで夜逃げのような状態だったのだとか。
また野口さんは、故障後は1週間ほど休養していたそうですが、また走りたくなってしまい、結局、北海道の自然の中で走っていたと言います。
まだ痛いのに走ってしまって、また悪くなるということを繰り返していた
という野口さんですが、それくらい野口さんにとって走る事は日常の一部となっていたとおっしゃられていました。
野口みずきは一般人と結婚し、現在は上海在住
そんな野口さんですが、2016年に現役を引退されてから、同年の7月に三重県伊勢市で、一般男性と結婚式を挙げた事を発表。
その後、旦那さんが中国の上海市に仕事の都合で転勤になったことから、野口さん自身も現在は上海市に移住しているそうです。
そして、噂によりますと、野口さんは既に中国語もペラペラで、地元の方々とも楽しく生活されているとの事です^^