2008年から2010年、女子100mハードルの日本選手権で3連覇した寺田明日香(てらだあすか)さん。
寺田さんは日本代表として世界陸上にも出場するなど、将来を嘱望される選手でしたが、2012年のロンドン五輪出場を逃すと、翌年、23歳の若さで引退されました。
引退後は結婚・出産され、アスリート界から姿を消していましたが、3年を経た現在、異例の転身を遂げられているようです。
寺田さんが選んだのは、7人制ラグビーの選手としての活動だったのですが、なぜこのような道を選ばれたのでしょうか?
この記事では、そんな寺田さんの陸上時代を含めたプロフィールや、結婚や出産、そしてラグビーで日本代表や五輪出場を目指す現在の活動などについて、探ってみたいと思います。
目次
寺田明日香(てらだあすか)のプロフィール・経歴
それではまず初めに、寺田さんの陸上時代のプロフィールからご紹介したいと思います。
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寺田 明日香(てらだ あすか)
本名 佐藤明日香
生年月日 1990年1月14日(27歳)
出身地 北海道札幌市
居住地 東京都
身長・体重 167cm・50kg
学歴 札幌市立柏丘中学校卒、北海道恵庭北高等学校卒、早稲田大学人間科学部卒
陸上引退 2013年
自己ベスト 100mH?: 13秒05(2009年)
寺田さんは、北海道出身の現在27歳になります。
現役時代は、陸上界ではとても期待された選手でしたが、父親は元400mハードル選手、母親は100m・200mを専門とする元短距離選手で、ともに全道大会優勝&インターハイ出場歴があり、まさにサラブレッドとして生まれたようですね。
寺田さんは小学4年生から陸上競技を始められ、全道大会に出場。
全国小学生陸上競技交流大会では、5年100mと6年100mでそれぞれ全国2位となるなど、幼い頃から才能を発揮されていました。
高校ではハードルを始め、100mハードルにおいてインターハイ3連覇を達成しました。
特に高校3年時のインターハイでは、100mハードルに加え100m、4x100mリレーも優勝し、3冠を達成。
大会最優秀選手にも選ばれました。
高校卒業後の2008年、北海道ハイテクACに所属。
同年の日本選手権で初優勝を果たし、同種目では史上最年少の優勝となりました。
また、世界ジュニア選手権にも出場しました。
翌年の2009年の日本選手権では、100mハードルで大幅に自己ベストを更新し2連覇を達成。
さらに、ベルリンで行われた世界選手権に出場し、中国・広州で開かれたアジア陸上競技選手権では銀メダルを獲得しました。
2010年は日本選手権3連覇を達成し、中国・広州で開かれたアジア大会代表に選ばれ、同大会で5位に入賞。
しかし、2011年以降はケガに苦しみ、2012年のロンドン五輪も出場を逃す結果となりました。
そういった事情から、当時の寺田さんは摂食障害などの精神疾患にも悩まされていたと言います。
そして2013年6月、夢だった五輪出場を果たせぬまま、寺田さんは陸上競技生活を引退されました。
また2014年4月からは、早稲田大学人間科学部人間情報学科に入学されたようです。
寺田明日香は陸上引退後は結婚し、子供を出産 夫はどんな人?
そんな寺田さんでしたが、プライベートの方では2014年3月29日に一般男性と入籍され、さらに8月には女児を出産されています。
娘さんは果緒ちゃんとおっしゃるそうで、もうすぐ3歳になられるようですね^^
今日は、ベッタリなムスメさん。
いいけどさ、夕飯準備が出来ませぬ。。#今日はレスト#夕飯どうしようかな pic.twitter.com/X6Gmbbee5H? てらだあすか (@terasu114) 2017年3月6日
旦那さんの情報に関しては、調べて見ると、かなりのエリートのようです。
お名前は佐藤峻一さんとおっしゃるそうで、結婚された2014年当時で33歳だったそうですので、現在は37歳くらいかな?と思われます。
開成高校→早稲田大学第一文学部→早稲田大学大学院スポーツ科学研究科
という高学歴な方で、
日本陸上競技連盟(広報・強化・大会運営・普及・総務・経理など)→新日本有限責任監査法人(スポーツコンサルタント)
といった職歴を経験されているようです。
職業柄もあってか、とてもスポーツがお好きな方のようで、佐藤さんのフェイスブックを見ていると、スポーツ観戦の様子や、娘さん、そして奥さんである寺田さんの姿がよく見受けられます^^
佐藤さんが現在勤めている、新日本有限責任監査法人というところは、収入の方もかなり良いとネット上などでは囁かれています。
おそらくそうした旦那さんの経済力があるからこそ、寺田さんは現在、
- 家事や子育て
- 早稲田大学での勉強
- ラグビー選手としての活動
などが出来るのかも知れませんね。
お互いにスポーツが好きなようで、同じ目標に向かって二人三脚で励まれているようですね!
寺田明日香(てらだあすか)がラグビー転向を決意した理由とは?
そんな寺田さんご一家ですが、一度は競技の世界から完全に姿を消していたのに、何故また復帰し、それも以前とは異種となるラグビーの道を選んだのでしょうか?
その経緯や理由について、探ってみたいと思います。
寺田さんがラグビーを始めたのは、2016年の9月だったそうで、20年の東京五輪出場を目指して始められたようです。
女子チーム・東京フェニックスに所属し、同年12月23日に埼玉で行われた日本協会のトライアウトに参加。
そして、40メートル走、立ち幅跳び、片足スクワット、20メートルシャトルランの4種目のいずれにも高い能力を示し、13人の中でただ1人、合格したんだそうです。
ブランクがあるので実力の100%を出せたかといえば、そうではない。
と寺田さんは語っていたそうですが、見守った稲田仁ヘッドコーチ代行は、
あの速さの選手は正直、女子ラグビー界にはいない。
体の細さはあるが、スピードはずば抜けていた。
(五輪金メダルの)豪州の一番速い選手より速いんじゃないか。
と、その脚力に太鼓判を押していたようです。
寺田さんがラグビーを始めるきっかけとなったのは、日本代表でリオ五輪に出場するなど、活躍する友人の桑井亜乃さん(アルカス熊谷)の誘いだったそうです。
円盤投げをしていた桑井さんは、寺田さんと同じ北海道出身で同い年の大の仲良し。
それでも寺田さんは、引退直後は心身ともにダメージが残っていたため、踏ん切りがつかなかったと言います。
寺田さんにとって、五輪という舞台を踏めないまま陸上を離れた精神的ダメージというのは、とても大きかったようです・・・。
しかし、結婚しお子さんも生まれ、第2の人生を歩まれていた寺田さんのアスリート魂に、再び火をつける出来事が起こりました。
旦那さんとリオ五輪の女子ラグビーをテレビ観戦していた時、サクラセブンズが12チーム中10位となったのを見た寺田さんは、
自分のスピードで貢献できるのではないか
と考え、ラグビーに身を投じることを決心したそうです。
また始めは「子どもと一緒にオリンピックを見たい」との思いだったのが、「子どもと一緒に見るんじゃなくて、見せたい」という思いに変わっていったそうです。
そして寺田さんは、ラグビーを始めて2週間で試合にも出場し、最初の壁となる身体接触も、試合でタックルされ、練習しているうちに慣れたと言います。
2020年東京五輪が決まったとき、子供がほしい、子供と一緒に五輪を見たいと思ったんですが、東京だし、出た方がいいんじゃないかと頭をよぎったんです。
陸上で復帰しなかったのは、陸上では五輪に出ても上位は狙えないと思ったから。
サクラセブンズが目指していたのは金メダルだと聞いていたので、2020年では私もメダルを目指したいと思い、そういうチームの一員になれたらいいなと思っています。
といった意気込みを語られていたようで、現在寺田さんは2020年の東京オリンピックを目指して、練習に励まれているようですね!
寺田明日香の今後
という事で、学生時代から期待の陸上選手として活躍し、引退を経て現在はラグビー選手に転身を果たされた、寺田明日香さんの経歴や結婚・出産、そしてラグビーに転身を決意した理由などについて探ってみました。
普通に考えれば、20代後半から新たにアスリートの道を踏み出すという事は容易な事ではないと思いますが、寺田さんには天性の脚力や、大切なお子さんや旦那さんといった励みになる存在もあるので、本当に東京オリンピックで活躍する姿を見せてくれるかも知れませんね。
子育てをしながら、目標に向かって励まれる姿は多くのママ達の励みにもなると思いますし、是非ラグビーの世界でも陸上時代並に活躍される事を期待しています!