2016年11月12日に甲子園で、プロ野球の12球団合同トライアウトが実施されました。
毎年沢山の選手達が現役で活動する道を探るこの制度ですが、今年は一風変わった”ナックルボール”で夢に挑戦する植松優友投手が話題になっていました。
という事で今回は、そんな植松選手のこれまでの経歴やナックルボールを習得したきっかけ、またその魔球がプロで通用するかについて調べてみたいと思います。
植松優友のプロフィール 高校時~引退までの成績など
ではまず”ナックルボール”について詳しく見ていく前に、植松選手のこれまでの主なプロフィールをご紹介したいと思います。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) February 15, 2020
植松 優友(うえまつ まさとも)
生年月日 1989年11月27日
出身地 大阪府大阪市北区
身長・体重 183cm・83kg
投球・打撃 左投・左打
プロ入り 2007年高校ドラフト3巡目
所属 千葉ロッテマリーンズ(2008年~2015年)
植松投手は中学時代より軟式野球を始められ、金光大阪高等学校入学直後に硬式に変更、そして威力の高い直球を評価され投手に転向します。
そして、2007年の全国高等学校野球選手権大阪大会の決勝戦で中田翔や浅村栄斗らを擁する大阪桐蔭との対戦で同年度の全国ナンバーワン打者として注目を浴びていた中田から3三振を奪うなどして、一躍プロのスカウトの注目を集めます。
そして千葉ロッテマリーンズに入団しますが、主にイースタン・リーグでの選手生活が続き、入団8年目の2015年にようやく1軍に昇格しますが、6月11日の対中日ドラゴンズ戦に2回6失点で自身2連敗を喫すると、翌12日に出場選手登録を抹消されます。
結局、一軍公式戦への登板は、以上の2試合で終わり、10月3日に球団から戦力外通告を受けます。
通告後には12球団合同トライアウトへの参加も検討していたようですが、開催の直前に参加を見送るとともに、現役引退を表明されました。
そして今年は打撃投手として、ロッテと契約されていたようです。
植松優友の再挑戦 トライアウトでの登板の詳細
しかし先日行われた2016年の合同トライアウトでは、植松投手は選手として参加し、現役復帰に向けて再挑戦されました。
甲子園で行われたトライアウトでは28番目の投手として登板した植松投手ですが、投げた全9球のうち、134キロのストレート以外は、8球は120キロ未満のナックルボールでした。
観客から観ると、非常に遅い球にしか見えないナックルですが、その変化量の大きさや緩急の差などで相手打者はもちろんキャッチャーされも獲り辛い球種だそうです。
そんな魔球に植松さんが取り組み始めたきっかけは、中学時代の遊び心からだったそうで、以降高校時代やプロに入団してからも、そんな一環として地道にチャレンジしながら精度を上げてこられたそうです。
そのあまりの獲り辛さに、植松投手は現役時代からナックルで勝負したい気持ちはあったそうですが、「エラーに繋がる可能性がある」という事でチームの方針から叶わなかったそうです。
魔球はプロ野球で通用する? ナックルボールの歴史や現状について
ではこのナックルボールがプロの球界で通用するのかですが、この球種は現代の「魔球」と呼ばれるほどだそうで、ほぼ無回転で放たれたボールは左右へ揺れるように不規則に変化しながら落下し、打者のみならず、捕手や投手までもが予測不能な動きをするんだそうです。
そのため欠点も多く、前述したエラーに繋がる可能性や、球速が遅いため、甘く入ると痛打される危険性が高いなどが上げられると思います。
そしてこの球種の歴史は意外と古く、1910年代にはメジャーリーグでエディ・シーコットという投手が始めて以来多くのナックルボーラーが活躍されています。
しかし現代ではその数は減少傾向にあり、本場メジャーでは現在、ディッキー投手とスティーブン・ライト投手のみのようです。
日本のプロ野球界ではあまりナックルは馴染みがありませんが、全く居なかった訳ではないようですが、現代プロ野球では殆ど見かけませんね。
何かと課題の多い”諸刃の剣”のようなナックルボールですが、挑戦する選手が少ないだけに高い技術で投げこなす事が出来れば、正に他の誰にもない武器として植松選手の大復活なんていうストーリーも有り得るのかも知れません。
まさに少年漫画のような夢に満ちた話ですが、今回そんな可能性にかけた植松選手の心意気を賞賛したいと思いますし、是非どこかの球団からお呼びが掛かれば良いなと思いますネ♪
その可能性は充分に有り得ると思いますし、今後の続報に期待しましょう!!^^