相方の山里亮太さんとお笑いコンビ・南海キャンディーズでブレイクした、”しずちゃん”こと山崎 静代さん。
最近は見かける機会が減った気もしますが、一時期はボクシング挑戦などでも話題になりましたよね。
この記事では、そんな山崎さんのこれまでの活動歴や、ボクシング時代のエピソード、そして現在の活動などについて、探ってみたいと思います。
目次
山崎静代(南海キャンディーズ・しずちゃん)のプロフィール
それではまずは簡単に、山崎さんのこれまでの経歴についてご紹介したいと思います。
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山崎 静代(やまさき しずよ)
生年月日 1979年2月4日(38歳)
出身地 京都府福知山市
血液型 A型
身長 182cm
学歴 茨木市立西中学校卒、大阪府立茨木西高等学校卒、聖和大学短期大学部卒
コンビ 西中サーキット→南海キャンディーズ
相方 山里亮太
担当 ボケ
活動期間 1999年~
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
趣味 ボクシング、漫画、絵
山崎さんは京都府出身の、現在38歳になります。
5000gという大きな体で産まれたそうで、出身は京都ながら育ちは大阪府茨木市のようで、小学・中学・高校ともに同市の学校に通われていました。
山崎さんは182cmという大きな身長が特徴的ですが、中学時代は陸上部、高校時代は女子サッカー部に所属するなど、優れた運動能力を持った方だといわれています。
そして短大時代には、中学の同級生である前野里美さんと、自身初となる「西中サーキット」(にしちゅうサーキット)という女性コンビを結成し、ボケを担当。
ネタ作りも行っていました。
その後、同コンビでオーディションを受けて吉本入りし、2002年のABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞を獲得し、関東の深夜番組にも出演しますが、相方・前野さんの引退によりコンビは解散。
「山崎二宮」というコンビ活動を経て、山里亮太さんに誘われ男女コンビ・南海キャンディーズを結成。
その後は大ブレイクを果たし、近年は女優やボクシングなど、多彩な活動が話題を呼んでいました。
山崎静代(やまさきしずよ)のボクシング挑戦
そんな山崎さんですが、ボクシングを始めたのは2007年からでした。
当初山崎さんは、「あしたのジョー」が好きだったのと、ボクササイズも流行っていた頃で先輩芸人達も多くジムに通っていたことから、軽い気持ちで始めたそうです。
はじめは趣味のひとつだったようですが、TVドラマ『乙女のパンチ』への出演を機に、ドラマのアクション指導を務めていたトレーナー・梅津正彦さんと出会い、指導を受けるようになりました。
その後はタレント活動を並行しながら、アマチュア女子ボクシング選手としての練習を始め、2009年2月にC級ライセンスを取得。
2012年のロンドンオリンピックから女子ボクシングを正式種目として採用することが決定し、山崎さんも同大会出場を目指して活動するようになります。
2011年9月に台北市で行われた『第1回タイペイカップトーナメント』に出場し、これが初の公式戦となりましたが、初戦で敗退し出場4人中3位に終わりました。
その後、75kgまで減量を行い、2012年2月に行われた『全日本女子選手権兼ロンドン五輪予選日本代表派遣選手選考会』では、ミドル級に階級を下げて出場。
1回戦(準決勝)は不戦勝、初戦となった決勝戦では鈴木佐弥子選手に26対11で判定勝ちし優勝を果たしました。
この結果、2012年5月に行われた『ロンドン五輪予選兼2012年世界女子ボクシング選手権大会』の日本代表に選ばれました。
しかしこの大会で山崎さんは、初戦(2回戦)はシャフノザ・ニザモワ選手を破るも、3回戦でアンドレア・シュトローマイヤー選手に破れた事などから、惜しくもロンドン五輪出場を逃してしまいました。
山崎静代とコーチ・梅津正彦さんとの関係 末期がんを宣告された後
そんな山崎さんとトレーナー・梅津正彦さんは2008年に放送されたドラマ『乙女のパンチ』で出会われたのですが、梅津さんはその後、山崎さんの専属トレーナーとしてボクシングの指導に当たるようになりました。
しかし2011年の秋頃になると、梅津さんは体調の優れない日々が続くようになります。
そこで2012年に病院へ行くと、メラノーマと呼ばれる悪性の皮膚がんであると診断されました。
当時の梅津さんはなんと、
放っておいたら余命1年
という宣告を受けたのですが、それでも山崎さんの勇姿を見るために手術を延期しました。
その頃の梅津さんには結婚したばかりの奥さんと幼いお子さんも居て、早急に手術すべきと言われていたのですが、それでも山崎さんの試合を途中で放り投げることは出来なかったそうです。
山崎さんの方も、あと一歩のところでロンドンオリンピック出場は叶わず、しばらくは失意に暮れていたそうですが、次のリオオリンピック出場を目指して再びボクシングを続ける決心をされます。
その理由には、自身の悔しさもあったようですが、当時入院していて、闘病を続ける恩師・梅津さんを自分のボクシングをする姿で元気付けたいという思いもあったようです。
そして山崎さんは、その後もハードな練習に励まれました。
しかし、梅津さんのガンは全身に転移していきます。
2度の手術を受けましたが、がんはリンパ節に転移し、梅津さんの体を蝕んでいきました。
そして2013年の7月7日、講演会のステージに立っていた梅津さんですが、その3日後の7月10日に容態が急変。
そのまま入院する事になりました。
そして、同月22日の午後7時半。
仕事終わりに病院へ駆けつけた山崎さんを、梅津さんは
(来るの)遅かったな
と言いながら、待っていてくれたと言います。
さらに梅津さんは、こう言ったそうです。
「抱っこして」
起き上がって話をしたかったようですが、山崎さんが体を抱えても、梅津さんにはもう起き上がる力がありませんでした。
代わりに梅津さんが差し出した手を山崎さんが握ると、梅津さんは山崎さんの手に爪を立てるほど力強く握ったそうです。
その後、梅津さんの意識は朦朧としていき、これが二人が交わした最後の会話となりました。
だんだんと呼吸が弱まる中、心臓だけは動いていました。
梅津さんの妻・敦子さんは梅津さんの耳元に携帯電話を持っていき、いろいろな人に電話をかけました。
梅津さんはまだ声は聞こえていたようで、言葉は発せないものの、その目からは涙がこぼれたと言います。
そして23日の午前1時、梅津さんの心臓は止まり、44歳という若さで亡くなられました。
山崎さんは、最後まで梅津さんの回復を信じていたそうです。
そして梅津さんが亡くなったその日、山崎さんは梅津さんの自宅を訪ね、妻・敦子さんや息子・悠正くんと一緒に梅津さんの思い出話をしたそうです。
山崎静代のボクシング引退の経緯や理由は?
梅津さんが亡くなられてからも、山崎さんは、
これからは自分ひとりでやっていく。
という気持ちで、その後もボクシング活動に励まれたようです。
ひざの手術などを経て、試合も重ねられましたが、2015年8月1日、体調不良を理由に女子アジア選手権大会欠場を決定。
2015年10月15日、「体力の限界」を理由に女子アマチュアボクシングから引退しました。
当時の会見で山崎さんは、
心と体がついていかない。
ボクシングがなかったら私の人生はなかったと思う。
わがままを許してくれた会社にも感謝しています。
と引退の理由や、ボクシングで得た思いを語っていたようです。
そして、
今後はコンビ活動を中心にしていけたらと思います。
と、その後の活動について説明していました。
山崎静代の現在 絵も上手い?
上記のような理由からボクシングを引退し、コンビ活動を重視すると話していた山崎さんですが、最近ではあまりコンビで見かけませんよね。
実際に山崎さんが、現在どんな活動をしているのか調べてみると、バラエティの出演は減っている代わりに、ドラマへの出演が増えているようで、現在も放送中の連続テレビ小説「ひよっこ」では小祝滋子・役で出演されているようです。
またDHCプロティンダイエットの2017年新CMにも出演して話題となっていたようです^^
といったように、現在は芸人としての活動というよりマルチなタレントとして活動されているようですね。
また絵を描くのが得意なようで、ネット上では山崎さんと「絵」というキーワードがよく検索されているようです。
— ねたろう (@cQxPGoKcnpEOn4Y) April 5, 2019
確かに、かなり上手ですね^^
といったように、現在では多彩な才能を発揮されている山崎さんですが、まだまだ今後も様々な事に挑戦し、活躍していって欲しいなと思います!